ZIPANG-7 TOKIO 2020【都城島津伝承館】春季収蔵史料展「関ヶ原合戦での島津氏と北郷氏」を令和5年5月21日まで開催中!


今回の史料展は、都城島津家に伝来した史料を通して、都城と都城島津家の歴史についての紹介です。


徳川二十将図(全期展示):江戸時代


【都城島津伝承館】

都城島津邸 邸内施設のご案内




剣道場

慶応3年築の建物といわれています。『明治百年人物誌』の渡辺甲介の項によると、「明治12年に島津邸に道場を設立し剣道を指南す」とあります。芳井崎に邸宅をつくるとき、移設してきたと思われます。床が低くなっており、釘が上から打たれていないのが特徴です。石蔵に対し、板蔵と呼ばれ、炭などを保管していました。


石蔵

「都城島津家日誌」によると、昭和5年11月5日「石造米倉庫棟上ゲヲナス」とあります。12月29日に竣工。後には、道路拡により解体した農芸館の収蔵品(民具)が収納してありました。


厩(農芸館)

昭和27年の建築。馬小屋として利用されていました。


御門

昭和10年、追加注文で建築されたものです。都城島津家の家紋入りの軒瓦があるのが特徴です。


外蔵

明治15年4月、120円で古土蔵(明治5年築)を購入し、移築したものです。2階に、都城市に寄贈した古文書・甲冑等が収蔵されていました。


日本庭園

昭和10年に鹿児島の庭園師に依頼した記録があります。昭和28年、本宅増築の時、庭も改造したと思われます。

南側の高木は、昭和天皇御宿泊のとき、警護及び目隠しのため移植されました。池には鯉やスッポンが生息し、鴨などの渡り鳥も飛来します。水源は湧水ですが、涸れたことがありません。

一角に毘沙門天(=多門天、四天王の一。北方世界を守護)があり、これは、廃藩後に家臣であった北郷資秀がもらい受けていたものです。

明治45年2月23日、島津邸内に移されました。肥後椿は、龍峯寺墓地から移植されたものです。


都城島津家の先祖が祀られていたものです。昭和10年にこの場所に移転し、9月30日に遷宮祭が行われました。伊勢神宮正殿と同じ神明造となっています。島津家では、毎年、春と秋に御霊祭を行っていました。


春季収蔵史料展「関ヶ原合戦での島津氏と北郷氏」

テーマ展示として、都城島津家伝来の関ヶ原合戦に関連する史料を展示し、関ヶ原の戦中・戦後における島津氏と北郷氏の動向について紹介しています。


展示の様子


収蔵史料展概要

■期間

令和5年3月18日(土)~5月21日(日)9時~17時(入館は16時30分まで)

・前期:令和5年3月18日(土)~4月16日(日)

・後期:令和5年4月22日(土)~5月21日(日)

※会期途中展示替えあり:令和5年4月18日(火)~4月21日(金)


■展示会場

都城島津伝承館(所在地:宮崎県都城市早鈴町18街区5号)

■観覧料

一般220円(160円)、高校生・大学生160円(110円)、小・中学生110円(50円)

※( )内は20名以上の団体料金

※邸内施設の「本宅」を観覧する際は、別途小学生以上110円必要


主な展示史料

展示総数 約70点

【国指定重要文化財】2点 ※両方とも前期のみ展示


■朝鮮国書:弘治13年(1500)


■紺糸威紫白肩裾胴丸大袖付(こんいとおどしむらさきしろかたすそどうまるおおそでつき):室町時代(16世紀)

【宮崎県指定有形文化財】※令和4年2月24日「都城島津家伝来史料」として一括指定


■関ヶ原合戦図(全期展示):江戸時代


徳川二十将図(全期展示):江戸時代


関ヶ原始終大概記 関ヶ原覚書 朝鮮覚書 写


丸に十字紋太刀拵


日州飫肥城下図



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使


協力(順不同・敬称略)

都城市役所 〒885-0073宮崎県都城市姫城町6-21 電話:0986-23-2288

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


関ケ原合戦まつりの様子「東軍」葵の紋所の幟が見える(右端は小早川)


両軍布陣後も前夜からの深い霧で見通しがきかない。薄暗い霧が、これからここで起こる激戦を予知するかのような空気さえ醸し出していた。緊張感の漂う中、無言の睨み合いは続く。霧が少し晴れた午前八時頃、東軍・井伊直政により、決戦の火蓋は切って落とされた。


関ケ原では、日本の歴史上避けて通れない大きな“天下分け目の戦”が二度ありました。

672年、大海人皇子と大友皇子による、日本最大の内乱「壬申の乱」。

そして1600年、石田三成率いる西軍と徳川家康率いる東軍が東西を二分するこの地で繰り広げた、戦国最大ともいわれる天下分け目の戦「関ケ原の戦い」。

この二度の戦がなければ、今の日本はガラリと変わっていたかもしれません。


ZIPANG-2 TOKIO 2020~この国の原点の風景が息づく~「関ケ原古戦場グランドデザイン(その1)」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5571800



天岩戸神社・天安河原


天岩戸神社について

古事記(こじき)、日本書紀(にほんしょき)等に皇祖天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)は御弟素盞鳴尊(すさのおのみこと)を御避け遊ばして暫く天岩戸(あまのいわと)へ御籠り遊ばされた事を記して居ますが、天岩戸神社は其の霊蹟天岩戸(あまのいわと)を斎ひ奉る神社です。

境内社殿の背後断崖の中腹に御窟あり天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)籠らせ給ひし処と伝へ、古より其の御神域を御神体としてお祭り致して居ります。

社殿は東本宮(ひがしほんぐう)と天岩戸(あまのいわと)直拝の西本宮(にしほんぐう)と岩戸川(いわとがわ)の渓谷を挟み相対して御鎮座ましますが東本宮(ひがしほんぐう)関係の昌泰(しょうたい)年間の記録に天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)、天岩戸(あまのいわと)より御出ましの節、思兼神(おもいかねのかみ)其の御手を取りて東本宮(ひがしほんぐう)の土地に御造営の御社殿へ御鎮りを願ったと記してあります。

弘仁壬辰三歳中秋には三田井(みたい)候の遠祖、大神大太惟基(おおかみたゆうこれもと)公霊夢に恐惶して頽廃せる社殿を再興し深く其神明を崇敬したと申します。


ZIPANG TOKIO 2020「日本発祥にまつわる日向神話の源、高千穂の天岩戸神社」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/1591496



西の正倉院


門外不出の奈良の正倉院の原図を元に忠実に再現。百済王族の遺品と伝わる神門神社の宝物を展示し、中でも神門神社で発見された1003本の鉾が整然と並ぶ様は圧巻。最古の鉾には長禄3年(1457)とある。


古事記の「記」、日本書紀の「紀」を合わせて 「記紀(キキ)」と呼びます。

記紀は約1300年前の奈良時代に神武天皇の命令で作成され、日本書紀より8年早く完成した古事記は、現存する日本最古の歴史書とされます。

宮崎県に根付く神話の物語に基づき、この「記紀」の物語と共に宮崎県内を巡る旅を「キキタビ」と名付けています。

宮崎県には神話の世界を感じることが出来る「記紀」ゆかりの壮大な自然や神社、史跡が数多くあり、「キキタビ」は神話のふるさと宮崎の魅力を存分に味わうことの出来る旅です。


ZIPANG-6 TOKIO 2020 古来より大切に継承されてきた伝統文化を感じる「神もうで」の旅 宮崎に眠る神話の世界感を体験!『キキタビ2022』観光キャンペーン開始
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/37703868/



ユネスコエコパーク 川上渓谷


ユネスコエコパーク(生物圏保存地域)について

1.概要

ユネスコエコパーク※(生物圏保存地域、英名:BR: Biosphere Reserves)は、生物多様性の保全、持続可能な開発、学術研究支援を目的として、1976年(昭和51年)にユネスコが開始。ユネスコの自然科学セクターで実施されるユネスコ人間と生物圏(MAB: Man and the Biosphere)計画における一事業として実施。

「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」に基づく世界遺産が、手つかずの自然を守ることを原則とする一方、ユネスコエコパークは、生態系の保全と持続可能な利活用の調和(自然と人間社会の共生)が目的。「保全機能」、「経済と社会の発展」、「学術的支援」の三つの機能をもつ地域を登録。そのため、ユネスコエコパークは、「核心地域」、「緩衝地域」とともに、「移行地域」(地域社会や経済発展が図られる地域)を設置。

登録総数は、120か国、669地域(2016年(平成28年)3月現在)。

今回の第29回人間と生物圏(MAB)計画国際調整理事会において、新規登録23件、国境をまたぐ新規登録4件、拡張登録12件が認められた。

※ユネスコエコパークは我が国の国内呼称。 


ZIPANG TOKIO 2020「ユネスコエコパーク『祖母(そぼ)・傾(かたむき)・大崩(おおくえ)』(大分県、宮崎県)及び『みなかみ』(群馬県、新潟県)パリの第29回 MAB において登録決定!」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2594083



頂上に雪を頂く富士山を借景に満開の浅間桜


富士山本宮浅間大社

徳川家康公は、関ヶ原の戦いに勝利した御礼として、本殿・拝殿・楼門をはじめ30余棟を造営し、境内一円を整備しました。現在、本殿・拝殿・楼門等が残っており、本殿は国指定重要文化財、拝殿・楼門は県指定文化財となっています。また、富士山8合目以上を境内地として寄進する等しました。

庶民の信仰

恐ろしい噴火を繰り返す富士山を、鎮め奉る浅間大神への敬慕の念によって信仰され、その頂きは浅間大神の御神域として尊ばれてきました。富士山の噴火が収まるに従い、その敬慕の念が富士登山という形に変化していきました。 平安時代、都良香(みやこのよしか)(834~879)の著した『富士山記』には、富士山頂上の様子が書かれています。

『山に神あり。浅間の大神と名づく。この山高く雲表を極むること、幾丈なるをしらず、頂上に平地あり、広さ一里ばかり。その頂の中央窪く下りて、体炊甑の如く、甑の底に神池あり。池中に大石あり。石の体驚奇にして、宛ら蹲虎の如し。亦その甑底を窺へば湯の沸騰するが如く、その遠きにありて望む者は、常に煙火を見る。 ・ ・ ・中略 ・ ・ ・宿雪は春夏も消えず。(原文は漢文)』


ZIPANG-3 TOKIO 2020「 神武天皇が即位された日を建国の日として祝う祭典【紀元祭】 富士山本宮浅間大社にて行われました。明日は月例祭です!」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5721165



徳川家康公銅像(生誕地岡崎公園内に建つ)


家康公は、天文11年(1542)12月26日、岡崎公園内の坂谷の邸(現在の坂谷曲輪)で生まれました。

幼少のころは人質として岡崎を離れ、自立した後は全国統一をめざし転戦を続けた。そして慶長5年(1600)に天下分目の関ケ原の合戦に大勝して、天下をおさめるに至りました。

以後持前の才能を生かし、全国統一の念願をかなえるとともに、徳川幕政300年の基盤をつくり、元和2年(1616)4月17日に75歳でこの世を去りました。

この銅像は1965年、家康公350年祭を記念して建てたものです。


『荵苳酒(にんとうしゅ)』


和泉屋「小島醸造」千本格子に歴史と伝統が刻まれている


『荵苳酒』の歴史と伝統

何と!なんと、その伝統を守ること、今を距ること約四百余年前、時は慶長二年、この『荵苳酒』尾張最古の銘酒なのであります。

二代目小島弥次左エ門創業に依り当代で十四代目となり連綿たる歴史を有しているのです。

元和五年沢菴禅師が犬山に御出の折次の言葉を詠まれました。

本年忍冬とかけるを後の人草甲を加へたりつる 葉かれずして冬を忍ぶ故なり

梅が枝も寒若を経て春にあふためし十年にあらずめでたきものは忍冬酒なり

そこもとにても、めしあげられ、よろしきことに給ひ置きて幾度も盃をあげ申すべきにて候

上の書は今でも尚、小島家に保存されております。

犬山藩主成瀬子爵家所蔵の正徳合帳「献上帳」を見ますと徳川五代将軍綱吉公の代に

「宝永ニ酉年十二月廿四日、稲葉丹後守様へ境沢嘉兵衛罷越し寒中御機嫌御伺いの為の忍冬酒献上仕り候」又「各大名へ寒中御見舞として忍冬酒献上仕り候」

という記事が詳細に掲載されております。


国宝 犬山城と満開の桜

見どころ~国宝 犬山城~世界遺産 犬山祭~有楽苑 国宝茶室「如庵」~木曽川うかい~ほか

ZIPANG-4 TOKIO 2020 徳川家康も好んで飲んだと伝わる 尾張最古の銘酒『荵苳酒』と犬山の見どころ!
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7686814



むらさき麦


〜古から✹むらさき✹

色の藤川宿(岡崎市)は天下人家康の生誕地 〜


                                「ここも三河 むらさき麦の かきつばた」 芭蕉


第一番札所 六所神社



創建

600年代

由緒・歴史

由緒によれば、37代斎明天皇(655~661年)の勅願によって、奥州塩竃六所大明神が勧請され、神領の寄進を受けて創立されたと伝えられています。

その後、桓武天皇(781~806年)の時代、坂上田村麻呂が東夷征伐に向かう折に祈願し、天皇に願い出て許可を得たことで再建され「六所大明神」の勅額(天皇が神社に特別に与える直筆の神額)をいただいたとの言い伝えもあります。

産土神として松平家・徳川家の崇敬が篤く、天文11年(1542)には竹千代君(家康公)ご誕生の折にも拝礼されたことから「家康公の産土神」として江戸幕府の厚い保護を受け、楼門前の石段は5万石以上の大名しか上ることができなかったそうです。

江戸幕府が開かれる前年の慶長7年(1602)、六所神社は家康公からご朱印状と62石7斗を贈られ、慶長9年(1604)には社殿を造営して神器の品々をくだされました。

3代将軍家光公も、寛永11年(1634)上洛の折に岡崎城から遥拝し、名代である松平伊豆守を使わして100石が加増されました。

朱印状には「六所大明神は東照大権現降誕の地にある霊神なり、是を以て崇敬他と異なり」とあります。家光公はさらに寛永11年(1634)から寛永13年(1636)にかけて、御普請奉行・本多伊勢守と神主大竹大膳久次に社殿と神供所を造営させたことで、本殿、幣殿、拝殿が連結した華麗な彩色の権現造の社殿が完成しました。

貞享51年(1688)には楼門が建てられ、現在では本殿・幣殿・拝殿・楼門・神供所と御神体を納める御厨子6基、社殿の棟札6枚と共に国の重要文化財に指定をされています。

昭和48~51年(1973~1976)と平成26~29年(2014~2017)に、大修復工事が行われ、建立当時の美しさがよみがえった六所神社は、現在も「安産の神様」として信仰を集めています。


大樹寺 山門(県指定文化財)/ビスタライン

寛永18(1641)年に三代将軍家光公によって建立されました。楼上には後奈良天皇の勅額「大樹寺」(重要文化財)が掲げられ、釈迦三尊像と16羅漢が安置されています。本堂からは山門、総門を通して岡崎城を遠望できる「ビスタライン」は大樹寺の見どころのひとつで、この景観の保護は市の条例で定められています。


ZIPANG-5 TOKIO 2020速報“おかまいり”知ってますか?200 年前の人々と同じ道を、同じように歩いて神社と寺院を巡る!
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ZIPANG-7 TOKIO 2020

これまでの、日本の精神文化と国土の美しさについて再発見に加えて その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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