ZIPANG-7 TOKIO 2020 聖徳太子ゆかりの寺院 鶴林寺 最大の行事 聖徳太子会式(通称「お太子さん」)

    

        ~法要後には珍しい「火渡り」も体験~



国宝 太子堂


時代

平安時代後期 、天永3(1112)年

構造及び形式等

桁行三間、梁間三間、正面一間通り庇付、一重、宝形造、庇葺きおろし、檜皮葺

所有者及び所在地

鶴林寺/加古川町北在家424番地

指定年月日

明治34(1901)年3月27日 国指定

解説

本尊:釈迦如来 文殊菩薩 普賢菩薩 四天王

兵庫県下最古の建築で、聖徳太子ご創建の聖霊院(しょうりょういん)の後身として太子堂とよばれているが、本来は西方にある常行堂と対をなす天台宗最古の法華堂である。

桧皮葺き(ひわだぶき)の美しい屋根に宝珠がのせてあり、内部は正面に礼堂があり奥が3間4面の内陣になっている。

天井は小組格天井(こぐみごうてんじょう)とよばれるぜいたくな天井である。

須弥壇(しゅみだん)後方の板壁には、表に九品来迎図(くぼんらいごうず)、裏面には涅槃図(ねはんず)、天井小壁には飛天図、その他長押し上の小壁、四天柱などからも創建当時の壁画が、昭和51年に赤外線写真によって発見された。しかし今なおススにおおわれ肉眼では見ることができない。(鶴林寺太子堂説明板より)


兵庫県加古川市は、大阪や神戸への交通アクセスがよく、ベッドタウンとしても発展してきました。一方で数多くの古墳や古刹が残されており、聖徳太子ゆかりの地として、歴史深いまちとしても知られています。


なかでも589年、聖徳太子が16歳のとき、仏教を広めるための道場として建立されたと言われる『鶴林寺(かくりんじ)』には、平安・室町時代の国宝・重要文化財の建築物や仏像、工芸品が数多く残されています。


深い歴史を誇る鶴林寺の最大行事である、『聖徳太子会式(通称「お太子さん」)』が、聖徳太子の御命日法要(中日)を中心とした3日間にわたり開催されます。本年は、3月19日に春彼岸法要、20日は聖徳太子報恩法要があり、21日は大般若経転読法要の後、14時から大護摩が焚かれ、火渡りが行われました。


鶴林寺(かくりんじ)




589年、聖徳太子が16歳のとき、仏教を広めるための道場として建立されたと言われています。釈迦三尊と四天王をまつり、「四天王寺聖霊院」と称されたのがこの寺のはじまりといわれ、「播磨の法隆寺」とも呼ばれています。邪念を振り落とし、新たな自分に生まれ変わる『ふりきる門』など、新しいパワースポットも人気を集める、加古川市が世界に誇る名所です。


太子会式(たいしえしき)


ご住職による大般若経転読法要の様子




聖徳太子の御命日法要(中日)を中心とした3日間に、春彼岸法要(初日)・大般若転読法要(結願日)・採灯護摩供(結願日)を併せて行う鶴林寺最大の行事です。


希望者による火渡りの様子


火渡りの様子


春彼岸会(はるひがんえ)では先祖供養を、大般若転読法要(だいはんにゃてんどくほうよう)では、大般若経六百巻を独特の作法で読みあげる祈願法要を行い、採灯護摩供(さいとうごまく)では付近の行者衆が一堂に会して世界平和と人々の心願成就を祈り、終りには希望者が火渡りに参加しました。


               参加者で賑わう様子


境内には屋台が多く出て賑わい、京都報音舎による仏教書籍や墨蹟などの展示販売も旧宝物館にて行います。


中学校の吹奏楽や市内の和太鼓、ダンスチームなどが本堂の縁側や特設ステージでパフォーマンスを繰り広げて盛り上げてくれました。


いよいよ山伏の出発、行列のさまになります。厳しい修行が待っていそうですね・・・


毎年同じ時期に開催いたします(太子のご命日は2月22日、旧暦に近づけるため3月22日を中日に月遅れで行っています。)本年何らかの都合により参加できなかった方は是非、来年はご参加されることをお勧めいたします。


【鶴林寺へのアクセス】

所在地:兵庫県加古川市加古川町北在家424

電話:079-454-7053

〈公共機関でのアクセス〉

・JR「加古川駅」よりバス8分、徒歩15分 ・山陽電鉄「尾上の松」より徒歩15分

〈お車でのアクセス〉

加古川バイパス 加古川ランプから10分、山陽自動車道 三木小野インターから30分


加古川市の見どころと取り組み

【日岡山公園について】

東播磨屈指の桜の名所として知られる、加古川市最大の総合公園。


日岡山公園 夜桜


3月18日(土)~5月7日(日)の期間、夜になると約300本のぼんぼりが点灯、約1,000本のソメイヨシノが幻想的にライトアップされ、可憐な夜桜を楽しめます。特に、公園内のメイン通りでは、桜のトンネルができるので、柔らかな光に包まれた桜の中で、幻想的な雰囲気を味わうことができます。


公園内は、野球場、グラウンド、体育館、プール、テニスコートなどのスポーツ施設や遊具等が充実しており、天気の良い日には、展望台から加古川市街や遠く明石海峡大橋を眺めることができるので、例年多くの市民で賑わいます。また、桜の時期には約1,000本のソメイヨシノが公園に咲き乱れ、メイン通りには桜のトンネルが現れるので、夜桜の名所として人々に親しまれています。


◆日岡山公園にまつわる歴史~景行天皇の愛が残した「日岡御陵」~


日岡御陵 ヤマトタケルの母「稲日大郎姫命(いなびのおおいらつめのみこと)」の陵墓


日岡山公園に隣接する大きな前方後円墳『日岡御陵』は、ヤマトタケルの母である稲日大郎姫命(いなびのおおいらつめのみこと)の陵墓として宮内庁に指定されています。

かつて、景行天皇の熱烈な求婚により結ばれた2人。稲日大郎姫命が亡くなった後、故郷の日岡山に葬ろうと加古川を渡ると、突風により船が転覆。亡骸が見つからず、悲しみにくれた景行天皇が皇后への想いをよせるため、代わりに見つかった櫛を葬ったのが、日岡御陵と言われています。

兵庫県加古川市は、黒田官兵衛ゆかりの地でもあり、歴史のまちとしても知られています。



~ミズベリング~
“かわ空間”と“まち空間”が融合「かわ・まち空間」市民の憩いと爽やかさを演出!


市を代表する加古川の豊かな水辺空間を地域資源として、“かわ空間”と“まち空間”が融合した良好な空間形成を進め、地域の活性化や地域ブランド向上を目的に、昨年度より市民活動団体のみなさんからの事業提案を募集。

『かわまちづくり』プロジェクト※の一環として加古川の河川敷に賑わいを創出する『かわまちづくり』プロジェクトを進めています。

※『かわまちづくりプロジェクト』は『ミズベリング』の一環として進められています。

「ミズベリング」は、新しい水辺の可能性を切り開くための官民一体のプロジェクトです。河川敷はこれまで営利目的の利用が認められていませんでしたが、2011年度の規則改正で国土交通省の指定を受ければ、飲食店などを開くことが可能になりました。

「ミズベリング」では、水辺に興味を持つ市民や企業、行政が三位一体・ひとつの輪となり、持続可能な水辺の未来に向けて改革していくという意味が込められています。



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使


協力(順不同・敬称略)

鶴林寺 兵庫県加古川市加古川町北在家424 電話:079-454-7053

加古川市役所 兵庫県加古川市加古川町北在家2000 電話:079-421-2000

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。

鶴林寺 修正会(鬼追い)


兵庫県加古川市では、589年に聖徳太子建立とされる『鶴林寺(かくりんじ)』の本堂にて修正会(鬼追い)を毎年1月8日に開催しています。

加古川市は、大阪や神戸への交通アクセスがよく、ベッドタウンとしても発展してきました。一方で数多くの古墳や古刹が残されており、黒田官兵衛や聖徳太子ゆかりの地として、歴史深いまちとしても知られています。
(詳しくは本文にて・・・)


ZIPANG-6 TOKIO 2020 歴史のまち加古川 1月8日は、新年恒例の 伝統行事「鶴林寺」修正会(鬼追い)開催
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/29877064



東近江市 聖徳太子像


市域には数多くの古墳が残されています。なかには渡来系の構造を持つ古墳もあり、古くから大陸の影響を受け入れてきました。また、聖徳太子の伝承を持つ寺社が日本で一番多く、天台寺院や渡来人との関わりがうかがえます。
(詳しくは本文にて・・・)


滋賀県東近江市の古代と聖徳太子伝承

ZIPANG-6 TOKIO 2020 東近江秋祭り2022を考えるための意見ボックスの設置! & わんぱく相撲滋賀県大会について(公社)東近江青年会議所
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/32636872



              道後温泉 聖徳太子のもとに


飛鳥時代・聖徳太子の来浴の伝承、熟田津(にきたつ)の歌

法興6年(596)、聖徳太子は僧恵慈(そうえじ)および葛城臣(かつらぎのおみ)らを従えて道後に来浴された際、明媚な風光と良質の温泉を推賞せられ、これを記念するために、湯の岡に石碑を建立されたと伝わっています。

当時は椿が美しく生い茂り、霊妙な温泉が平等に恩沢(おんたく)をほどこす様はまるで寿国(理想の国)のようだと讃えました。

「熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出な」は、斉明天皇(さいめいてんのう)率いる船団が出港するにあたり、額田王(ぬかたのおおきみ)が詠んだ歌と伝わります。

道後には、斉明天皇のほか、舒明天皇(じょめいてんのう)、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)など、皇室の方々の来訪記録が残されました。
(詳しくは本文にて・・・)


ZIPANG-4 TOKIO 2020 令和二年古今折衷~3000年の時を越えて「重要文化財、道後温泉本館~火の鳥~をシンボルに『道後REBORNプロジェクト』を展開中!」
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7528735



油日神社表参道 桜が境内を華やかにします。



豊かな文化財と伝承

長い歴史をもつ油日神社は、社殿をはじめとした多くの文化財と、豊かな伝承に彩られます。なかでも室町時代の「油日大明神縁起」に語られる 聖徳太子( しょうとくたいし)の活躍は特色あるもので、社宝の「聖徳太子絵伝」や、太子の 本地( ほんじ)とされた 如意輪 (にょいりん)観音を表した懸仏の存在は、当時は軍神として崇められた太子への甲賀武士の信仰を伝えるものです。
(詳しくは本文にて・・・)


ZIPANG TOKIO 2020「甲賀忍者 軍神として崇められた聖徳太子への甲賀武士の信仰を伝える日本遺産『甲賀の総社』油日神社」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2325031



伊賀忍者(黒装束)


忍術を定義づけるのは大変困難なのですが、狭義では「忍び」本来の意味である、戦場において敵軍に潜行する情報収集をはじめ、変装術や心理学を含む密偵術と、広義では江戸時代の忍術伝書に記されるような密偵術を含む剣術や火術、呪術、薬学、天文学など、総合的なものの2つに大別できます。

伊賀忍者の歴史

忍術を使う人を忍者と呼びますが、忍術の起源には多くの説があり、他の武術のように始祖 などもはっきりしておりません。一説には、聖徳太子に仕えた大伴細入という人物が、その働きから最初の忍者であるともいわれていますが、史料が少ないために伝説の域を脱せないのが現状で、伊賀の場合は、鎌倉時代に荘園の中で発生した「悪党」に起源を求めるのが現実的です。

伊賀は奈良時代以降、東大寺や興福寺などの多くの荘園がありました。悪党とは、もともと土着している地主のような人の中で、寺院や貴族の領地である荘園に対して反抗的な行動をとった人達のことです。

彼らは荘園領主に対して奇襲や撹乱などの戦法を駆使しました。悪党の中には、修験道と関わりをもった者もおり、そこで山伏の戦法を学び、先達として各地を巡る際に情報収集を行ったことも考えられます。

有名な百地氏も、もともとは悪党であった大江氏の一派といわれており、実際に大江氏の一族が大峰山で修行したという記録が残っています。加えて伊賀周辺には、霊山や笠置山、赤目四十八滝など修験に関わる地が多く、役行者信仰も盛んでした。
(詳しくは本文にて・・・)


ZIPANG TOKIO 2020「日本遺産 伊賀忍者の故郷『忍びの国伊賀上野』現在、『伊賀上野NINJAフェスタ2017』開催中!」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2328594



大本山成田山新勝寺 聖徳太子堂


大本山 成田山新勝寺は、天慶3年(940)、宇多天皇の孫にあたる寛朝( かんちょう)大僧正により開山されました、全国8カ寺の別院や末寺など合わせて71ケ寺を有する真言宗智山派の大本山です。 ご本尊は平安時代に真言宗の開祖、弘法大師が一刀三礼(ひと彫りごとに三度礼拝する)の祈りを込めて敬刻開眼された不動明王像と伝えられています。

江戸時代から「成田のお不動様」とよばれ数多くの人びとに親しまれ、歌舞伎の成田屋・市川團十郎丈、海老蔵丈なども参詣する霊場です。

正月3が日には約305万人、年間約1,000万人以上のご参詣者が訪れます。
(詳しくは本文にて・・・)


ZIPANG-2 TOKIO 2020 ー 大本山 成田山新勝寺 ー 「開山から約1070年。成田山の歴史とお不動様の教えを紐解く。(その1)」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5515453



大本山 成田山新勝寺 光明堂(重要文化財)



大本山成田山新勝寺 釈迦堂 ファサード


光明堂は1701(元禄14)年に建立された重要文化財です。釈迦堂の前の本堂であり、江戸時代中期における貴重な建物です。大日如来、愛染明王、不動明王が奉安 されています。後方には奥之院の洞窟があり、毎年祇園会の時に開扉されます。また、毎年5月には、光明堂前の特設舞台にて成田山薪能が上演されます。
(詳しくは本文にて・・・)


ZIPANG-2 TOKIO 2020 ー 大本山 成田山新勝寺 ー「弘法大師と興教大師の時空を超えた願い(その2)」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5524941



※現在、2000件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


新サイトの記事をご覧いただけます。

ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
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ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
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ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
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ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/


ZIPANG-7 TOKIO 2020

これまでの、日本の精神文化と国土の美しさについて再発見に加えて その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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