ZIPANG-7 TOKIO 2020 【氷室開き】 江戸時代加賀藩が徳川家に氷を献上していたことに由来する伝統行事


加賀藩とは

加賀藩は、江戸時代に加賀・能登・越中(富山県)を統治していた藩で、藩主は前田家です。


前田家の初代(加賀藩祖)は、利家で、前田家は、加賀藩1代目の利長から13代目の慶寧(よしやす)まで、約260年にわたり加賀藩を治めてきました。


江戸幕府を除くと、日本で一番大きかった藩が加賀藩(102万石)で、いわゆる加賀百万石と言われる所以です。


前田家の初代の利家は、織田信長に仕え、豊臣秀吉の時代には、徳川家康と並ぶくらいの高い地位(五大老の一人)にありました。


秀吉の死後、徳川家康は新しい体制を作ろうと暗躍するのですが、利家は豊臣寄りだったこともあり、家康との対立が度々ありました。


そのため、徳川幕府になってからも、加賀藩は幕府から謀反(むほん)を疑われ、加賀藩は謀反を疑われないよう自分の藩や土地を守るということに尽力しました。


加賀藩は、徳川幕府の顔色を伺いながらも、日本一の石高(102万石)を獲得し、それを死守するという、バランス感覚と立ち回りが上手い藩だったようです。


参考文献:

・能登印刷出版部 「金沢謎解き街歩き」(実業之日本社,2015年)


2023年石川県金沢市 見所



氷室開き

江戸時代加賀藩が徳川家に雪氷を献上していた歴史に由来する伝統行事です。
毎年、冬に詰めた雪をこの日に切り出します。金沢では7月1日に氷室饅頭を食べ、一年の健康を祈る習慣があります。


金沢 湯涌温泉「氷室小屋」。
「所変われば品変わる」とはよく言ったものである。同じような小屋でも大分・別府温泉(別府八湯の明礬温泉)では「湯の華」採取の小屋だった・・・



江戸時代には氷は非常に貴重であったため、冬になると「氷室」と呼ばれる貯蔵庫(氷室小屋)に雪を詰め、保管していました。そして、旧暦6月1日を「氷室の朔日」と呼び、保管していた雪氷を切り出して、徳川家に氷を献上していました。



これを再現した催しを「氷室開き」として、毎年6月30日に湯涌温泉にて行っています。氷室小屋で仏事の後、切出された雪氷を薬師寺へ奉納します。


その他「氷室まんじゅう」の販売等もあります。
また毎年1月末には雪を氷室小屋に詰める「氷室の仕込み初め」も開催されます。


※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、「氷室酒」のふるまい・「氷室そうめん」の販売は行いません。また、「湯涌氷室まんじゅう」の販売は、お持ち帰り用のみとなります。



問い合わせ先

湯涌温泉観光協会
電話:076-235-1040

開催日:2023年6月30日(木)
開催時間:10:00~

会場名:玉泉湖畔 氷室小屋
住所:〒920-1123 石川県金沢市湯涌町地内

アクセス

お車で:金沢駅から約40分
金沢東IC・金沢森本ICから約30分、金沢西ICから約40分

公共交通機関で:
北陸鉄道路線バス「湯涌温泉」バス停から徒歩約3分


金沢湯涌夢二館


大正時代を代表する詩人画家•竹久夢二(一八八四年-一九三四年)は、独学で絵を学び、コマ絵画家としてデビューしました。

その独特な画風と詩境は時代の共感を呼び、美人画、デザイン、子ども絵などの諸分野において、柔軟な感性とたゆまぬ精進によって先駆的な作品を生み出しました。

「夢二式美人画」のモデルとなった妻・岸たまきは金沢出身でした。

夢二は自然豊かな湯涌を「心の故郷」と記し、ここに画室を建てたいと夢を語り生涯忘れることはありませんでした。

”湯涌なる山ふところの小春日に眼閉ぢ死なむときみのいふなり”「山へよする」はそんな夢二の想い出をうたった絶唱です。

当館は夢二と金沢、そしてこの湯涌との縁にもとづいて、彼の業績を顕彰するため、二〇〇〇年四月に建てられました。

〒920-1123石川県金沢市湯涌町イ144-1 電話:076-235-1112


       イメージ 竹久夢二 代表作 「黒船屋」モデルは複数説あり


編集後記

~おもてなしの心~

昔々のお話です。昭和50年代のいつ頃だったかはっきりと想いだせない、ただその日は朝から雪がひどく降り湯涌温泉での仕事が終わる頃には踏みしめた皮靴が隠れるほどであった。

この後まだ、金沢・片町等での友人T氏との約束が残っており(天の声:何々、片町だって…!勿論仕事じゃろうな⁈)…、バスに乗るためには雪降る中で1時間以上待たなければならなくて、傘もなく震えながらバス停で待っていると、小生に気が付いた竹久夢二の描く美人画から抜け出たような温泉ホテル(旅館)の女将らしき和服姿のご婦人が「当館は日帰り温泉入浴は行っておりませんが、次のバスの到着までかなりの時間がありますので、もし宜しければ、それまで当館の露天岩風呂で体の芯まで温まられては?」と声をかけてくださいました。

小生は、渡りに船とばかりにお申し出をお受けし、お陰様で風邪もひかず、その日は友人の案内で金沢の夜を楽しむことができました。

(天の声:こ奴め、そんな魂胆だったのか😠)

次号は、大変お世話になった湯涌温泉・温泉宿をご紹介したいと存じます。


鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使


協力(順不同・敬称略)

石川県
〒920-8580 石川県金沢市鞍月1丁目1番地 電話:076-225-1111(代表)

湯涌温泉観光協会
〒920-1123石川県金沢市湯涌町い1電話:076-235-1040

公益社団法人石川県観光連盟
〒920-8580 石川県金沢市鞍月1丁目1番地 電話:076-201-8110

石川県名古屋観光物産案内所
〒460-0008 愛知県名古屋市中区栄4丁目16-36 電話:052-261-6067

紅山子(こうざんし)


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アーカイブ リンク記事をご覧ください。


金沢市 湯涌江戸村園内マップ


加賀百万石の名残を今に伝える「湯涌江戸村」

江戸時代は、日本の封建制がもっとも強化された時代で、徳川幕府の下に大名が全国を支配していました。一方で、250年を超す平和な時代は世界史的にみてもきわめて貴重で、各藩は商工業を発展させ、それぞれ独自の地方文化の黄金時代を現出しました。学問や科学も発達し、庶民文化の花も開いた時期で、今日、日本的といわれるものが、庶民の生活にまで定着していったのも江戸時代でした。そして、金沢を中心とする加賀藩は、この時代最大の藩で、加賀・能登・越中(石川・富山両県)にひろがった加賀百万石の文化や生活は、江戸(東京)とならんで、この時代を代表するものでした。


ZIPANG-5 TOKIO 2020 【文化庁】~Living History~(生きた歴史体感プログラム)とは
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金沢市長町 武家屋敷跡


【金沢の歴史的風致】

金沢の歴史的風致は、その風土と歴史に根ざした都市構造を基盤とする歴史的建造物や歴史的街並みとともに人々の生活、生業として現在も営まれている伝統行事、伝統文化、工芸技術(伝統産業)が一体となって形成される良好な市街地環境です。

近世城下町の構成資産として、金沢城跡、兼六園、これらと一体の辰巳用水、都市の骨格を成す惣構堀などが良好に遺存するほか、寺院群の景観及び伝統的な町並みも良好に保存されています。

また、城下には能楽や茶の湯など近世以来の伝統文化をはじめ、金工・漆芸・象嵌などの工芸技術が現在に継承され、市民生活に浸透しており、城下町及び伝統文化・精神性が融合した貴重な文化遺産群及び文化的景観であります。


ZIPANG-4 TOKIO 2020 「金沢の歴史的風致と特別名勝 『兼六園』」
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石川県輪島市 大沢・上大沢の間垣集落景観(冬の大沢集落)


急峻な山が日本海に直接迫る能登半島北側は,海から強い季節風を受ける地域であ り,多くの集落が内陸部に立地しています。その中で,大沢・上大沢の集落は湾を成す低地に位置し,後背の狭い谷地の限られた傾斜面に耕作地を有しています。

集落は平安時代以降 は志津良荘(しつらのしょう)に属していたと考えられます。

集落から離れた棚田では重労働を軽減するためにイナハザで稲を乾燥させてから運搬しているほか,海に面する集落の外周部には高さ4~5mの細いニガタケを垂直に立てて作った「間垣」※と呼ばれる垣根を設置し季節風から家屋を守っています。


ZIPANG-4 TOKIO 2020 石川の魅力は、自然と文化の調和「石川県の重要文化的景観 【文化庁選定】」
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加賀伝統料理「治部煮」


忘れられない伝統の味、もう一度雪の日に訪ねてみたい・・・


犀川のほとり、加賀百万石の栄華を誇る

古式ゆかしき加賀の城下町。

犀川を見下ろすように、創業260年の老舗「つば甚」はたたずむ。

宝暦二年創業のこの料亭は代々加賀百万石の前田家のお抱え鍔師であった鍔屋三代目甚平が、友人たちを招き美味珍味に恵まれたこの地の幸を趣向に満ちた料理でもてなしたことに始まるといわれ、「鶴の間」の床の間には今も家伝の鍔が埋め込まれている。

かっての軍人や室生犀星などの文豪、そして皇族、政治家、経済人らにも親しまれ、時には芸鼓をまじえて粋な宴が繰り広げられた。

大正時代の異国的な情緒漂う「月の間」には、輪島塗の丸い座敷机。床の間には季節の花と掛け軸が、時節を静かに物語る。

ソファに腰かけて眺める金沢の町。古くもあり新しくもあり。甍の波は、雪化粧。

加賀料理はとにかく冬が旨い。清流犀川でとれる鮴(ごり)や、日本海ならではの新鮮な鯛、鱈、甘海老。珍重される千口子も見逃せない。そしてなんといっても、風味豊かな楚蟹。

海の幸、山の幸と金沢は一年を通じて素材には恵まれているが、にしんをはさみこんだ大根ずしや、ぶりをはさんだ蕪ずしは、見ためも繊細華やかで真冬だからこそ味わえる。


この慌ただしい現代。松尾芭蕉が宿泊し、句会、茶会などを催したといわれる茶室是庵にて初釜を楽しむ風雅な心も忘れたくはない。


ZIPANG TOKIO 2020「加賀百万石の城下町金沢のおもてなしの心『つば甚』料理編」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3889313



創業宝暦二年、金沢で最も歴史ある料理屋


加賀百万石の礎を築いた前田利家が尾張に居を構えていた頃から代々のお抱え鍔師だった鍔家。

その三代目甚兵衛が宝暦二年(1752年)に鍔師の傍ら営んだ小亭・塩梅屋「つば屋」が「つば甚」の始まりとされています。鍔を依頼した遠来の客や友人知人をもてなした趣向に満ちた料理がたちまち評判となり、藩主はもとより藩内の重臣が訪れるようになりました。そして文明開化のあとも県内外からの多くのお客や文人墨客をはじめ海外からもお客が訪れ、今では金沢を代表する老舗料亭となりました。


つば甚 伊藤博文を魅了したしつらい「月の間」


伊藤博文、芥川龍之介、三島由紀夫など、幾人もの文人墨客が利用した部屋で、 伊藤博文はこの部屋に投宿して、つば甚の料理、もてなし、部屋からの眺めに感銘を受け 「風光第一楼」という書をしたためた。

深みある紅殻の壁、前田家の姫君の帯をつかった地袋、なぐりと細竹を編んだような広縁の鶯張りの床など、金沢らしい風雅なしつらいを楽しめます。


古今折衷 前田家の姫君の帯をつかった地袋、壁は紅殻…


ZIPANG TOKIO 2020「伝統を伝承して新しきをつくる『つば甚』館内編」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3897019



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ZIPANG-7 TOKIO 2020

これまでの、日本の精神文化と国土の美しさについて再発見に加えて その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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