ZIPANG-7 TOKIO 2020 足利市が 刀剣「山姥切国広」の取得に向けたプロジェクトを発表!~たたら、太刀・刀剣の歴史~


縷縷(るる)プロジェクト-美しき名刀に魅せられた人々の想いを未来へ-


栃木県足利市(足利市本城3丁目2145番地、市長:早川 尚秀)は、公益財団法人足利市民文化財団において、本市ゆかりの刀剣「山姥切国広」(※現在は個人所有)を取得する運びとなったことの発表がありました。


また、足利市として本文化財の取得に向け、より多くのみなさまにご支援をいただくための新たな取組を進めていくとのこと。


刀銘「九州日向住國廣作」(号 山姥切国広)


『山姥切国広 縷縷(るる)プロジェクト-美しき名刀に魅せられた人々の想いを未来へ-』の開始

本プロジェクトは、戦国時代に足利の地を治めた、足利長尾氏六代当主・長尾顕長が堀川国広に命じて作らせたと伝わる、名刀「山姥切国広」を後世に遺していくためのプロジェクトです。長年にわたり人々に愛されてきた美しき名刀を未来永劫守っていくために、このプロジェクトに賛同いただける方々を、2023年9月1日(金)より募集します。


「細く、長く、途切れることなく続くさま」を表す“縷縷(るる)”という言葉に願いを込めて、みなさまと共に、先人たちが大切に受け継いできたこの名刀の輝きが未来永劫失われることのないよう、足利市はこのプロジェクトに全力で取り組むとの事。


取得理由

「山姥切国広」は、戦国時代に足利の地を治めた、足利長尾氏六代当主・長尾顕長が、天正18(1590)年2月に刀工・国広に命じて作らせたもので、国広の最高傑作ともいわれる稀代の名刀です。


本文化財は、足利市民文化財団所有の「布袋国広(国認定重要美術品)」とともに、本市の歴史文化を語る上で欠くことのできない重要な史料であることはもちろん、足利市立美術館での過去2回の展示会を通じて現在の所有者との絆を構築。


そして所有者からの想いを受け、今後は本市ゆかりの新たな歴史遺産として後世に守り伝えていくことこそ、本市の重要な責務であると考えたことから、購入を進めるに至った。


取得のための資金内訳

資金内訳については、公益財団法人足利市民文化財団の資産から2億円、足利市が寄附やクラウドファンディング等を活用して募る1億円を予定。


今後のスケジュール(予定)

・2023年8月21日(月) 15:00 特設WEBサイトオープン

・2023年9月1日(金) 15:00 クラウドファンディング等の支援募集開始

・2024年3月末までに、売買契約締結


≪取得文化財について≫

名称  :刀銘「九州日向住國廣作」(号 山姥切国広)

制作年 :天正18(1590)年

刀工  :国広

寸法  :長70.6cm、反2.8cm

指定種別:国重要文化財(昭和37(1962)年6月21日指定)

取得額 :3億円

所蔵者 :個人(匿名)

取得団体:公益財団法人足利市民文化財団


【左】足利市長 早川 尚秀/【右】足利市民文化財団代表理事 笠原 健一



≪足利市長 早川 尚秀のコメント≫

過去2回の展覧会をとおして結ばれた所有者様とのご縁をもとに、この度、所有者様から当該文化財の譲渡についてのご相談をいただき、今こうして、この稀代の名刀を譲り受ける機会を得られたことに、大きなよろこびと使命を感じているところです。

今回のプロジェクトを通じて、財団と市、そして多くのみなさまとともに、この名刀「山姥切国広」をしっかりと後世に引き継ぎ、「縷縷(るる)」という言葉が示すとおり、この先も脈々と続いていく歴史の新たな1ページに向け、みなさま応援くださいますようよろしくお願いいたします。


≪足利市民文化財団代表理事 笠原 健一のコメント≫

これまで当財団では、布袋国広をはじめとする、本市ゆかりの貴重な文化財の保護に努めてまいりました。刀工・国広の代表作ともいわれる、この「山姥切国広」と「布袋国広」の大小二振りをいっしょに守り伝えていく機会をいただいていることは、願ってもない大変ありがたい話であるとともに、その重大さに身が引き締まる思いです。

令和4年で設立40周年の節目を迎えたなか、本文化財の譲り受けの実現に向け、多くのみなさまにも応援をいただきながら、今後も全力で文化財の保護と活用に努めてまいります。



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使


協力(敬称略)

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


大名にとって相応しい「お道具の美学」


徳川美術館 菊御作 後鳥羽上皇(後鳥羽院)


🐦

徳川美術館には、当時の大名が収集したコレクションはじめ、刀剣・武具類、有名な初音の調度、源氏物語絵巻など非常に多くの美術品が収蔵されていますね。

徳川

今日私達が美術品と呼んでいる種々な材質、形のものは、かっては何かしらの目的を遂行するために用いられた道具です。

美術品という言葉自体、明治以降にできた新しい言葉で、江戸時代はすべて「お道具」と称していました。

私はこれは大変いい言葉だと思うんですよ。美術品というのは横文字のアートオブプロジェクトとか、あるいわ芸術と言った場合はファインアートと言ったりします。

ところが「お道具」となるとちょっとニュアンスが違ってくるんですね。まさに文字どおり、何かを拵え(こしらえ)たりするために使うものです。

それらの「お道具」は、ある時は権力を誇示するために使われたりするものです。

(詳細は本文にて・・・)


昭和62年5月、(約40年前のお話です)

尾張徳川家21代当主 徳川美術館(前)館長 徳川義宜氏を訪ねて


尾張徳川家21代 徳川美術館館長 徳川義宣氏   Ⓒ鎹八咫烏


プロフィール

1933年東京生まれ。学習院大学政経学部経済学科卒。

東京大学農学部林学科、東京国立博物館に研究生として学ぶ。

財団法人徳川黎明会評議員、理事を経て、専務理事。

徳川美術館館長を務める。(昭和62年 現在)

主な著書

葉月物語絵巻(木耳社)

琉球漆工芸(荒川浩和氏共著 日本経済新聞社)

茶壷(淡交社)

新修 徳川家康文書の研究(徳川黎明会)ほか

尾張徳川家21代目にあたり 徳川美術館館長でもある、徳川義宣氏(以下徳川)を東京・目白にある財団法人徳川黎明会本部に訪ね、江戸時代の大名の美意識などについておたずねしました…本号はその中から特に徳川家康の考えた「わび茶と能」についてご紹介いたします。


ZIPANG-6 TOKIO 2020 尾張徳川家21代当主 徳川義宜氏に聴く!徳川家康の考えた『お茶の作法と演能』とは
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/37067472/



徳川美術館 黒門


徳川美術館 本館


有形文化財に登録された建物

徳川美術館は建物の外観デザインを公募して昭和7年(1932)に着工、昭和10年春に完成し同年の秋に開館。 近代的設備を備えた画期的美術館としてヨーロッパの建築界にも紹介されました。

尾張徳川家の宝庫として唯一の存在

徳川美術館の収蔵品は大名家の宝庫・コレクションとして唯一のまとまった存在で、「大名道具とは何か?」「近世大名とは何か?」という問いに答えることのできる我が国唯一の美術館です。

年間を通して楽しめる展示

建物が登録有形文化財に指定されている企画展示室(第7・8・9展示室)では、年間を通してテーマを絞ったさまざまな企画展を催しています。

伝統文化を体感できる雰囲気

徳川園の入口 --- かつての尾張徳川家名古屋別邸の表門、通称「黒門」をくぐると、緑に囲まれた石畳の向こうに、徳川美術館の前景が見えてきます。 公園と美術館とが一体となったゆったりとした雰囲気は、そのまま館内へと続いてゆきます。 当時の最先端技術を駆使した建築でありながら、日本文化の伝統の薫りに浸ることのできる雰囲気は、徳川美術館の最高の魅力といえましょう。 平成16年(2004)11月には、隣接する池泉回遊式の日本庭園「徳川園」と尾張徳川家旧蔵書を収蔵する「名古屋市蓬左文庫」がリニューアルオープンし、 美術館をとりまく一帯が整備されました。徳川美術館と蓬左文庫の展示室は一体化し、近世武家文化を体感できる歴史文化拠点となりました。

(詳細は本文にて・・・)


徳川美術館 太刀 銘 正恒 国宝


ZIPANG TOKIO 2020「 最高の魅力『日本文化伝統の薫り』徳川御三家筆頭尾張徳川家の徳川美術館 」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2570027



奥出雲 中国山地の眺め 


奥出雲の地は、古事記、日本書紀の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治や、素戔鳴尊(スサノオノミコト)が降臨したと伝えられる出雲神話発祥の地であり、古くから「たたら」製鉄で栄え、今でも世界で唯一、古来からの「たたら」操業を行い日本刀※の原料となる「玉鋼(タマハガネ)」を生産しています。


国宝 太刀 銘 光忠 徳川美術館 蔵


光忠は鎌倉時代の備前の刀工で、長船派の祖・長光(ながみつ)の父と伝えられています。

同派随一の名工であるが、銘を伴う品は少ない。本刀は姿がよく、かつ雄大な掘り込みがあります。

光忠の有銘品としては、一、二をあらそう名作です。

元禄十一年(1698)3月18日、5代将軍綱吉が尾張徳川家麴町邸にお成りの際、尾張徳川家3代綱成誠(つななり)(1652~99)が拝領しました。

※写真は備前の太刀ですが、備前では、南側は温暖で昔から「淡路の瓦や三州の瓦」が使われており、北側では『広戸風』と呼ばれる局地風が吹き、また冬は寒く、寒冷地に強い「石州の瓦」が使用されてきたそうです。ひょっとしたら奥出雲町の評判の「玉鋼(タマハガネ)」を使って備前で太刀が鍛えられた可能性も・・・?石州瓦が使われているから「玉鋼(タマハガネ)」もというのは、飛躍し過ぎですかね~・・・うたた寝をしながらパソコンに向かっていたら、そんな夢を見ました……

因みに、現在は「日刀保たたら」から全国の刀匠に「玉鋼(タマハガネ)」が提供されているようですが・・・


ZIPANG-3 TOKIO 2020「神話とロマンの里 奥出雲町とは、世界で唯一古来からの【たたら製鉄】の伝統技術を 守る町です。【第一話】」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5764450



奥出雲 羽内谷鉱山 鉄穴流し


たたら製鉄(日本古来の製鉄法)の原料である砂鉄を採取するため、500年以上にわたって、鉄穴流し(かんなながし)という採掘技術で山々を切り崩し、採掘のために導いた水路やため池を再利用して次から次へと棚田に再生しました。 奥出雲地域の主たる母岩は深層風化の進んだ花崗岩(真砂土)で、この中に約1%の砂鉄を含有しています。棚田に再生するプロセスは、水流による比重選鉱で砂鉄を採掘し、削平された跡地を土羽で土手(畦畔)を築いて、導いた水流でさらに土砂を流し込み水平にしながら耕地を形成し、水路やため池はそのまま利活用しました。

島根県奥出雲地域は「たたら製鉄」のために切り崩した山々を500年以上にわたって棚田へと再生してきました。同時に、拡大する棚田の耕作のため17世紀初頭から続けた和牛改良の知識を肉用牛の飼養管理技術に受け継ぎ、系統を引き継ぐ種雄牛(仁多牛)を造成し、飼育で得た堆肥による土づくりで全国を代表する「仁多米」を育んでいます。

一方、約30年周期で伐採してきた薪炭林は、シイタケ生産に循環利用の知識を継承し、輪伐による健全な森林や水田畦畔に棲むミツバチが受粉を促し、在来ソバの結実率を高めながら遺伝資源を今日に伝え、「出雲そば」が日本三大蕎麦となりました。

農文化としてハレの日には蕎麦を振る舞い、稲作や和牛の信仰も根付き、鉱山跡地に拓かれた棚田には墓地や神木を祭った小山(鉄穴残丘)が無数に点在し、神(自然)を畏れ祖先を敬う日本の宗教観をよく示す農業景観を形成しています。


神秘的な炎を舞い上げる たたら製鉄


たたら製鉄の幕開け

島根県東部の出雲地方では、約1400年前から「たたら製鉄」と呼ばれる砂鉄と木炭を用いる鉄づくりが盛んに行われていました。天平5(733)年に書かれた『出雲国風土記』には、「この地で生産される鉄は堅く、いろいろな道具をつくるのに最適である」と、生産される鉄の優秀性が語られています。そして、江戸時代後半から明治にかけての最盛期には、全国のおよそ8割の鉄が、当地を中心とした中国山地の麓でつくられていました。

なかでも奥出雲地域には、たたら製鉄の原料となる良質な砂鉄を含む花崗岩(真砂土)が広く分布し、燃料の木炭を得るための森林も広大であったため、これらの資源を求めて製鉄技術者が多数集まってきました。この歴史を象徴するのが、鉄づくりの神「金屋子神」が白鷺に乗ってカツラの木に舞い降り、製鉄の技術を授けたとする金屋子神話です。今日、「金屋子神社」の総本社がこの地に鎮座し、鉄づくり発祥の地として篤く信仰されています。


島根県奥出雲地域(島根県仁多郡奥出雲町)

日本農業遺産認定

「たたら製鉄に由来する奥出雲の資源循環型農業」とは

(詳細は本文にて・・・)


奥出雲 秋の稲田


ZIPANG-3 TOKIO 2020「神話とロマンの里 奥出雲町  日本農業遺産認定 ~たたら製鉄に由来する奥出雲の資源循環型農業~【第二話】」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5782896



奥出雲町 船通山を望むオロチ


奥出雲町は、島根県の東南端に位置し、中国山地の嶺を境に鳥取県と広島県が接しています。日本海側の出雲市や松江市からは約1時間、瀬戸内側の広島市からは約2時間、車にゆられて到着する「奥の町」。といっても、山に閉ざされた閑寂なところではなく、ぽっかり開けた明るい盆地が広がる、のどかな山里です。

光がいきわたる美しい丘陵の尾根つたいに広大な棚田が広がり、その先には悠然とそびえる山々。船通山、鯛ノ巣山、玉峰山、吾妻山、三郡山と登山客にも人気のある山が、町を見守るようにとり囲んでいますが、これらはいずれも『古事記』や『出雲国風土記』に記された、謂れのある山。ことに、船通山はスサノオノミコトが降り立ったといわれる伝説の地で、未知なるロマンを秘めています。

この船通山を源流に宍道湖へと注ぐ斐伊川は「ヤマタノオロチ」神話の舞台であり、言うなれば、このエリアの風土のもと。本町だけでなく、出雲地方全体の暮らしを支えてきた清流です。というのも、奥出雲の大地は上質な磁鉄鉱を含んでいるため、地層を濾過して湧き出る水には鉄分が含まれます。斐伊川流域の肥沃な大地は、この天然のミネラル水が生み出したものなのです。

正直、どこの都市からも遠いので、気軽に立ち寄れるところではありません。ですが、だからこそ「奥」には人をひきつける力があります。「奥は源」、「奥ははじまり」。パワースポットという言葉では片づけられない、生きるエネルギーに満ちたところです。


これが、「奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観」なのです。

奥出雲町 奥の地文化的景観


天平5年(733)に編纂された『出雲国風土記』の仁多郡の条に、「諸郷より出すところの鐵堅くして、尤も雑の具を造るに堪ふ」と本地域で産する鉄の優秀性が記されています。

以来、営々と砂鉄を採り、炭を焼き、そして“たたら”を吹き続けてきました。今日、砂鉄採取のため鉄穴流しではがされた奥出雲町の大地は、黄金に輝くいなたに生まれ変わりました。


ZIPANG-3 TOKIO 2020「神々からの贈り物 『奥の地』 奥出雲町の文化的景観とは【第三話】黄金に輝くいなた」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5818274



   奥出雲町 ときのけしき


現代、日本海側は『裏日本』とか『鄙(ひな)の国』などと言われていますが、遠い昔、弥生時代(紀元前4~500年から 紀元後300年くらい)は日本海側が『表日本』であり、日本海を通じて様々な交流が行われていました。

天平5年(733)に編纂された『出雲国風土記』の仁多郡(現在の奥出雲町にあたる)の条に三所(みところ)郷(のさと)・布勢(ふせの)郷(さと)・三沢(みざわの)郷(さと)・横(よこ)田(たの)郷(さと)あわせて4郷が所在し、「諸郷(もろもろのさと)より出(いだ)すところの鉄(まがね)堅(かた)くして、尤(もっと)も雑(くさぐさ)の具(もの)を造(つく)るに堪(た)ふ」と記しています。


             絲原家400年の伝統「三方飾り」


絲原家のたたら製鉄を行っていた頃の住宅に併設していた高殿の風景


このことは、その当時から盛んに製鉄が行なわれていたことを示すとともに、当地方で産する鉄の優秀性を物語っています。そして、今日もなお世界で唯一“たたら製鉄”の炎があがる町として全国に周知され、その技術は国選定保存技術に選定されているのです。

歴史的に見ると、近世・近代にかけて奥出雲地域は、我が国の鉄生産の中心地として隆盛を極め、たたら製鉄で栄えた地であります。 また、松江藩の鉄政策により、櫻井(さくらい)家、絲(いと)原(はら)家、ト蔵(ぼくら)家という大鉄師(だいてつし)(たたら経営者)を産みだし、櫻井家住宅は国重要文化財に指定され、絲原家住宅は登録有形文化財に登録されるなど、鉄師頭取の佇まいを今に残しています。


◆たたら製鉄って?

映画“もののけ姫”にも登場する【たたら】は、その語源ともなったとされる中央アジアのタタール人が考案した砂鉄と木炭を粘土製の炉内で燃焼させ、砂鉄中の不純物を還元分離して、鉄(銑鉄と鋼を得る古式製鉄法のことです。わが国には古墳時代に中国大陸から伝来し、洋式製鉄が普及する大正時代まで行われました。


長塩雪山筆「金屋子神」(部分)

その2大原料である良質な砂鉄と、豊富な木炭資源を有するこの奥出雲がその生産地として、江戸時代末期には全国の約30%を生産していました。


ZIPANG-3 TOKIO 2020 「 松江藩大鉄師『絲原家』  とは・・・絲原記念館・登録有形文化財住宅・国名勝庭園について 【第四話】」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5855524/



何処の国の町 島根県 雲南市木次の町並みです


一体何処の国の町なんだろうか⁉そう、ここが噂の、日本国島根県雲南市木次「神話のベールに包まれた町」なんですよ~緑が溢れ石州赤瓦の町並みが続く…春には春で、川の両岸には何時しか桜のトンネルが出現し、川からの風が桜吹雪となって赤い屋根の家々に…春の薫りのお裾分け・・・

雲南市は、島根県東部に位置する自然豊かな地域です。

雲南市を流れる斐伊川は、神話の舞台として有名で桜の名所も沢山あり、春には多くの観光客が訪れます。

その他にも雲南市は魅力満載!

当ウエブサイトにおいて出雲市、奥出雲市、雲南市の歴史や伝統・伝説を順にご紹介してから丁度1年が経ちました。「歳月人を待たず」と申しますが、とりわけコロナ禍自粛の影響なのか?時間的感覚が狂ってしまい、例年よりも月日の経過が恰も1/2にに縮まったかの心境です。

特に最近は1か月があっという間に流れ、歳月の経過感と歩行の距離感と寿命は正比例するものなのか・・・⁉

以前に通ったことのある道の距離も、何故か?短く感じるようになって来た今日この頃です・・・友人が 「おい、お前滅多なこと口走るなよ…" 瓢箪から駒 "の諺もあるからな…」とたしなめられました。(苦笑)

ふり返ると、前回、雲南市は出雲地方最後の取材先であったことと、スサノオノミコト・ヤマタノオロチ伝承地と出雲神楽という大変に興味深い二大テーマに取材を絞ったのですが、 次の記事の掲載締切に追われ、後ろ髪を引かれながらも雲南市につきましては他の見どころ迄、手が回りませんでした。と申すのも…

早く言って仕舞えば、歴史的に中味が濃すぎて、アレもコレもと血迷った当方のよみが浅すぎた結果であります。そんな申し訳なさが頭の片隅に引っかかっており、それが、つい4〜5ヶ月前の如き感覚なんですよね〜夏休みが終わる前に宿題は片付けるべし‼

そこで、一周年を記念して⁉雲南市の歴史的伝説と伝統文化を振り返りながら、前回ご紹介できなかった分、他の「見どころ」についてご案内いたしたく思った次第であります。

(詳細は本文にて・・・)


島根県雲南市 龍頭が滝スサノオとオロチ「出雲神楽」


菅谷高殿

菅谷たたら山内の中心にある「菅谷高殿」は、全国で唯一現存する高殿様式で、「国の重要民俗文化財」に指定されています。 


ZIPANG-4 TOKIO 2020 ヤマタノオロチ伝承地と出雲神楽「雲南市の見どころ」
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/9631678


雲南市の記事だけで数話掲載しております(雲南神楽等)。ご興味のおありの方は
「ZIPANG-4 TOKIO 2020 雲南市」で検索していただくか、巻末のアーカイブリンク記事をご覧ください。(天の声:コラ!手抜きするな~読者様に失礼千万だ!)



甦る村正の煌めき


三重県指定文化財

太刀 銘 勢州桑名郡益田庄藤原朝臣村正作/天文十二天癸卯五月日 鎬地「春日大明神」桑名宗社

室町時代から江戸時代にかけて活躍した村正。その切れ味の素晴らしから、真田幸村をはじめ多くの武将が愛用しました。

また、家康をはじめその父子が村正によって死傷したため、徳川家に祟るといわれ、江戸時代には妖刀伝説が生まれた。そのため銘を改ざんされたものが多くあります。 


ZIPANG-4 TOKIO 2020 三重刀剣紀行-甦る村正の煌めき-文化財保護法制定70年記念特別企画展 本日より
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/10871139



鹿島神宮 境内要石は大神の御座、磐座(いわくら)とも伝えられる霊石 大鯰の碑


宝物

鹿島神宮はその長い歴史故、藤原摂関家や徳川将軍家を始めとする武家の信仰が篤く、奉納いただいた宝物類を多く所蔵しており、宝物館では国宝、重要文化財、茨城県指定文化財、その他御神宝の数々を収蔵展示している。

所蔵品としては、国宝であり日本最古最大の直刀(金銅黒漆平文拵・附刀唐櫃)をはじめ、梅竹蒔絵鞍(重要文化財)、太刀(銘景安)、古瀬戸狛犬、銅印、木造狛犬、黒漆螺鈿蒔絵台(県指定文化財)等古くから伝わる宝物のみならず、神社に縁のある雪村筆「百馬図」、横山大観筆「鹿島洋朝瞰図」、軍艦「鹿島」パネルも展示されている。

なお、直刀の実物大レプリカも展示しているので、実際に手を触れて重量や長さを体感することができる。


鹿島神宮 直刀 神剣「師霊剣」


神剣「師霊剣」。奈良時代(初~中期)の「常陸国風土記」によると、約1300年前につくられたものと記述がある。 鹿島神宮の祭神である武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)の神剣として神宮の内陣深く秘められてきた神宝。刀身の長さは223.5cmある。

巌流島(船島)で宮本武蔵と決闘した、秘剣燕返しをあみだした佐々木小次郎の名刀・関の孫六(通称・物干し竿)でさえ2メートルなので、その長大さがわかる。


ZIPANG TOKIO 2020「すべての始まりの地 『鹿島神宮』紀元前660年の創建(前編)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2468656



※現在、2100件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


新サイトの記事をご覧いただけます。

ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
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ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
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ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
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ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
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ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
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ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
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ZIPANG-7 TOKIO 2020

これまでの、日本の精神文化と国土の美しさについて再発見に加えて その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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