ZIPANG-7 TOKIO 2020京都・禅宗寺院 大徳寺本坊 伽藍2024年春特別公開並びに経蔵(重文)初公開!!大徳寺塔頭3寺院や、壬生狂言で有名な壬生寺など非公開文化財を特別公開

「京都の伝統文化と世界を繋げる」

京都・禅宗寺院 大徳寺本坊 伽藍特別公開並びに経蔵(重文)初公開!また大徳寺塔頭3寺院や、壬生狂言で有名な壬生寺などで非公開文化財の特別公開ご案内


初公開「一切経」など経典を納める「八角輪蔵」がある大徳寺本坊 経蔵(重文)


大徳寺黄梅院 前庭と庫裡


まずは、2024年3月より、京都でも有数の規模を誇る禅宗寺院「大徳寺」内にある塔頭寺院「黄梅院」、「興臨院」、「総見院」の春季特別公開を順次開催いたします。


大徳寺は織田信長や豊臣秀吉など戦国大名ゆかりの地で、その戦国武将に仕えた茶聖 千利休や日本美術史上の重要人物の一人、狩野永徳を代表とする狩野派などが活躍した当時の文化の最先端であり、後世の日本文化に多大な影響を与えた場所です。


毎年春と秋に特別公開する黄梅院、興臨院、総見院では、その季節ならではの風景の移り変わりとともに、通常非公開である建造物や重要文化財を拝観できるため、観光シーズンには全国から多くの拝観者が集まり賑わいを見せます。


次に、大徳寺本坊 伽藍が2024年4月25日(木)より特別公開します。昨春に盛況だった企画が今年グレードアップして開催されます。


本公開では、寛永13年(1636)に建てられ「一切経」など経典を納める「八角輪蔵」がある「経蔵」(重文)を初公開します。通常一般非公開である、聚楽第の遺構と伝わる国宝の唐門、狩野探幽が「雲龍図」を描いた法堂(重文)、金毛閣(重文)などを解説付きでご案内します。


最後に、地蔵信仰・壬生狂言・新撰組のキーワードで知られる壬生寺が4月27日(土)〜5月5日(日)の期間に公開します。心地良い春の季節、日常の喧騒を忘れ、新緑を愛でながら贅沢な拝観の時間をお過ごしいただけます。


<2024年 春の特別公開情報(1)>

■ 大徳寺本坊伽藍特別公開

「経蔵」(重文)が初公開!天才絵師 狩野探幽が雲龍図を描いた法堂(重文)の拝観、三門「金毛閣」(重文)をくぐる体験まで!


期間:2024年4月25日(木)〜6月2日(日)予定


後醍醐天皇 肖像


後醍醐天皇から「本朝無双之禅苑」と評された禅宗の名刹、大徳寺は大燈国師によって1326年に創建されました。 一休宗純や沢庵宗彭などの名僧を輩出したほか、千利休や狩野永徳など後世の日本文化に多大な影響を及ぼした人物たちが活躍した場でもあり、数多くの貴重な文化財を今に伝えます。


狩野探幽が「雲龍図」を描いた法堂(重文)


聚楽第の遺構と伝わる国宝の唐門


金毛閣(重 文)


本公開では寛永13年(1636)に建てられ、「一切経」など経典を納める「八角輪蔵」がある「経蔵」(重文)が初公開となる 他、通常一般非公開である、聚楽第の遺構と伝わる国宝の唐門、狩野探幽が「雲龍図」を描いた法堂(重文)、金毛閣(重 文)を見学するなど非公開区域の伽藍の数々を、解説付きでご案内します。金毛閣をくぐり間近で歴史的建造物を拝観する機会もあり貴重な体験ができます。


【実施概要】

公開期間:2024年4月25日(木)〜6月2日(日)予定 10時~16時(受付終了)

拝観休止日:※法務の都合で休止となる場合有り

拝観料:一般3,000円

公開形式:時間毎に人数を限定して入場、(1回の案内で最大25名)ツアー形式で案内付き拝観(案内所要時間:約60分〜75分)

拝観内容:

【重要文化財】金毛閣(外観のみ)

【重要文化財】仏殿

【重要文化財】法堂 並びに 狩野探幽筆 法堂天井画『雲龍図』

【重要文化財】経蔵 ※初公開

【国宝】唐門




特別公開区域

【重要文化財】三門「金毛閣」

三門とは空門、無相門、無作門の三解脱門のことを指します。大徳寺の三門は応仁の乱で焼け落ちた後、大永6年(1526)に一休和尚参徒の連歌師 宗長の寄進により、初層部分が完成されました。


その60年後、千利休によって二層部分が完成し、金毛閣と名づけられました。楼上は広い一室で、釈迦如来像と、二大弟子像、さらには千利休が寄進した十六羅漢像が安置されています。


天井や柱には長谷川等伯による雲竜図や迦陵頻伽(かりょうびんが)、仁王像などが一面に描かれていています。


この楼上に草鞋を履いた利休像を安置したことで秀吉の怒りを買い、利休の切腹の一因になったのはあまりにも有名です。今回は、三門下をくぐり間近で拝観する機会をご用意しています。


【重要文化財】経蔵(初公開)

開山国師三百年忌に現在の法堂と同時期、寛永13年(1636)に那波宗旦によって建立されました。内部には「八角輪蔵」 があり、「一切経」など経典、約3,500冊(うち約半分は平安時代後期から鎌倉時代)が残されています。今回、内部への一般立ち入りを初めて解禁し初公開となります。


【重要文化財】仏殿

大徳寺一世 徹翁和尚により建てられましたが、応仁の乱までに二度焼失し、文明11年(1479)に一休和尚の参徒、尾和宗臨により再建されました。さらに寛文5年(1665)那波常有が再建し、現在に至ります。


御本尊の釈迦如来像は四代将軍徳川家綱公が寄進したもので、高さは約190センチあります。建築様式は典型的な禅宗様で、天井に描かれた飛天(天女)は狩野元信筆と伝わります。


【重要文化財】法堂内狩野探幽筆『雲龍図』

法堂(はっとう)は、禅宗寺院において長老が修行者に法を説くための建物で、教えを継ぐことを重要視する禅宗にとっては非常に神聖な場所ですここによく描かれるのが龍。


龍は仏法を守護し、法の雨(仏法の教え)を降らせると共に、水を司ることから「火災から寺院を守る」ものでもあります。


大徳寺法堂の『雲龍図』は狩野探幽が35歳のときに描きました。方丈障壁画を描いた後年の作風とは異なり、力強い筆遣いで描かれ、見るものを圧倒します。真下で手を叩くと龍が鳴いたように響くことから「鳴き龍」とも称されます。


【国宝】唐門

大徳寺の唐門は別名「日暮門」といわれ、国宝に指定されています。桃山建築の代表作で聚落第の遺構と言い伝えられ、桃山の三唐門(本願寺、豊国神社)の一つに数えられています。


彫刻を観賞しているだけで一日暮れてしまう、という所から「日暮門」と名付けられた様です。平成11年から14年までの3年間をかけて修復を施し、再び美しく当時の輝きを取り戻しました。


麒麟や孔雀、牡丹、波など、様々な動植物や天然物の彫刻が約40種類、色鮮やかに施されています。このような彫刻に出てくるものは当時の障壁画などにもみられるもので、絵画の立体的表現ともいえるものです。


<2024年 春の特別公開情報(2)>

■ 大徳寺塔頭3寺院:大徳寺 黄梅院

織田信長が創建し、のちに豊臣秀吉が増築するなど戦国大名ゆかりの寺院。
千利休が66歳の頃作庭したと言われる「直中庭」があることでも有名です。
苔とモミジが美しく新緑の季節の観光スポットとしても名高い寺院です。


黄梅院 前庭


【実施概要】

公開期間:2024年3月30日(土)〜5月19日(日)10:00〜16:00(受付終了)

休止日:法務により拝観休止日が増える可能性あり

拝観料:大人800円・中高生400円・小学生以下無料(保護者同伴)

特別公開:

千利休作庭「直中庭」

武野紹鷗好み茶室「昨夢軒」

方丈庭園「破頭庭」

【重文】雲谷等顔筆 本堂障壁画(複製)

【重文】庫裡


特別公開区域

【重要文化財】日本最古の庫裡(くり)

寺院の台所で僧侶の居住空間だった場所。日本に現存する禅宗寺院の庫裡としては最古のものです。


【重文】庫裡


千利休作庭と伝わる「直中庭」

千利休66歳の時に作庭されたと伝わる直中庭。秀吉公の希望により軍旗の瓢箪を象った空池を手前にし、加藤清正公伝承の朝鮮灯籠などを配した苔一面の枯山水庭園です。千利休が茶の世界だけでなく、マルチクリエイターとしての様々な才能と素質が垣間見れる庭の一つです。


千利休作庭と伝わる「直中庭」


【重要文化財】雲谷等顔筆 本堂障壁画(複製)

桃山四大巨匠の一人で、毛利家の御用絵師として雲谷派を築いた雲谷等顔による障壁画。
桃山時代を代表する画僧 雪舟の水墨画を手本とし、大胆な構図の水墨画を多く残しました。(現在は複製を展示)


【重文】雲谷等顔筆 本堂障壁画(複製)


■ 大徳寺塔頭3寺院:大徳寺 興臨院

室町期の建築様式の特徴を見せる本堂(重要文化財)や唐門を持つ大徳寺興臨院。桃山期には豊臣政権の五大老を務めた前田利家が本堂屋根を修復、また菩提寺とするなど前田家とも非常に縁の深い寺院です。


優美で安定感のある姿が静寂と落ち着きを感じさせる本堂や、「昭和の小堀遠州」とも言われた作庭家、中根金作が復元した方丈庭園を持ちます。例年、5月中旬ごろから庭園にサツキが咲き誇ります。


興臨院【重要文化財】本堂


【実施概要】

公開期間:2024年3月9日(土)〜6月16日(日)10:00~16:30(受付終了)

休止日:3月20日(水・祝)

拝観料:大人800円・中高生400円・小学生300円(保護者同伴)

特別公開:

【重文】表門

【重文】本堂


方丈庭園

茶室「涵虚亭」(かんきょてい)


特別公開区域

方丈庭園

白砂に石組みを配して理想の蓬莱世界を表します。本堂の解体修理時に、資料をもとに足立美術館の作庭者でもある中根金作氏が復元しました。


【重要文化財】唐門

唐破風、檜皮葺で、室町時代の建築の特徴を表します。波型の連子窓、客待の花頭窓などは禅宗の建築様式のひとつです。


興臨院【重要文化財】唐門


■ 大徳寺塔頭3寺院:大徳寺 総見院

羽柴(後の豊臣)秀吉が、本能寺の変に倒れた織田信長の追善菩提のために建立した大徳寺総見院。木造織田信長公坐像(重要文化財)はその葬儀に際して造られました。信長亡き後の政権争いの中、秀吉がその主導権を握るため建立した歴史的背景のある寺院です。


総見院【重要文化財】木造織田信長公坐像


【実施概要】

公開期間:2024年3月30日(土)〜5月6日(月・祝)の土日祝日のみ 10:00〜16:00(受付終了)

※4月27日(土)〜5月6日(月・祝)は毎日公開

※4月7日(日)・5月5日(日)は11:30〜公開

休止日:法務により拝観休止日が増える可能性あり

拝観料:大人800円・中高生400円・小学生以下無料(保護者同伴)

特別公開:本堂

【重文】木造織田信長公坐像

信長公一族の墓碑

お茶室


特別公開区域

【重要文化財】木造織田信長公坐像

その大きさは信長公の等身大。らんらんと輝くその眼光は信長の面影が良く伝わります。


信長公一族の墓碑

信長公をはじめ、徳姫(信長の息女)、濃姫(正室)、おなべの方(側室)など、一族7基の五輪石や墓碑が並びます。


総見院 信長公一族の墓碑


茶室

総見院と茶の湯は関わりが深く、当時の総見院方丈において、“秀吉が大徳寺大茶会では茶席を設けた”と記録が残ります。


総見院 茶室


<2024年 春の特別公開情報(3)>


■ 壬生寺

期間:2024年4月27日(土)〜5月5日(日)


壬生寺【重要文化財】本尊 地蔵菩薩立像


壬生寺は、毎年ゴールデンウィークに上演される壬生狂言( 2024年は4月29日〜5月5日 )に合わせ、通常非公開の本堂や京都市指定登録文化財の庭園、寺宝を特別公開しています。 


本堂には平安時代前期に彫られた本尊 地蔵菩薩立像(重文)が安置されて います。本堂西側の枯山水庭園は、江戸時代中期(1735年)に当時最も広 く普及した作庭書「築山庭造伝」にも名庭と紹介され、今もその当時の風 情を感じることができます。


2024年は宝物である重要文化財「錫杖頭」(しゃくじょうがしら)や、 雪舟筆と寺伝に伝わる「釈迦伝図」、壬生寺の往古の伽藍を描いた「壬生寺古伽藍之図」、元重要文化財であった「正嘉年銘金鼓」を特別公開します。


【実施概要】

公開期間:2024年4月27日(土)〜5月5日(日)10:00~16:00(受付終了)

拝観料:大人800円・中学高校生400円・小学生以下無料(保護者同伴)

特別公開:本堂


【特別展示品】

重要文化財「錫杖頭」(しゃくじょうがしら)

雪舟筆と寺伝に伝わる「釈迦伝図」

壬生寺の往古の伽藍を描いた「壬生寺古伽藍之図」

元重要文化財であった「正嘉年銘金鼓」

【重要文化財】本尊 地蔵菩薩立像

【京都市指定・登録文化財】庭園

復元 縄目地蔵尊像(延命地蔵菩薩)



【重要文化財】特別展示される「錫杖頭」

旧本尊の持物で蓮台や輪の文様が美しい



【特別展示品】

重要文化財「錫杖頭」(しゃくじょうがしら)

雪舟筆と寺伝に伝わる「釈迦伝図」

壬生寺の往古の伽藍を描いた「壬生寺古伽藍之図」

元重要文化財であった「正嘉年銘金鼓」

【重要文化財】本尊 地蔵菩薩立像

【京都市指定・登録文化財】庭園

復元 縄目地蔵尊像(延命地蔵菩薩)


【重要文化財】特別展示される「錫杖頭」

旧本尊の持物で蓮台や輪の文様が美しい


壬生寺【重要文化財】特別展示「錫杖頭」


お問い合わせ

株式会社京都春秋
〒604-0854 京都市中京区二条通東洞院西入仁王門町26-1 御所南二条ビル3階
電話: 075-231-6415 FAX:075-231-6420


鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使


協力(敬称略)

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


大徳寺 方丈庭園と唐門


方丈庭園と唐門(国宝)

京都の豪商・後藤益勝の寄進により再建されました。重要文化財である狩野探幽筆の障壁画や、日本に36件のみ存在する特別名勝の方丈庭園を有します。前庭は天祐和尚、東庭は小堀遠州の作庭で、江戸時代初期を代表する枯山水となっています。


大徳寺

京都市紫野(むらさきの)船岡山の北辺に広大な境内地を有する臨済宗大徳寺は、元応元年(1319)、東山に遁世していた宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が、播磨の武将赤松則村の援助でこの地に大徳庵を作ったのに始まり、正中元年(1324)、妙超に厚く帰依した花園・後醍醐両天皇が船岡の雲林院(うじゐ)の跡地を寄進したことによって寺基を拡張し、龍宝山大徳寺として開山しました。

妙超は入宋して日本臨済禅特に公家禅宗に多くの人材を残した南浦紹明(なんぼしょうみょう)の門下であるが、若くして天下の諸禅師を歴参し、京都に帰って天台・真言の旧仏教と論争して禅旨を明確にするに及び、その純粋に宋朝風の禅が朝廷の尊信をえたものであって、妙超は興禅大燈国師の号を賜わり、大徳寺は勅願所とされたのであります。

鎌倉幕府滅亡の元弘三年(1333)、大徳寺は五山の一に加えられ、翌建武元年(1334)には五山第一の南禅寺とならんで五山の上位に列しました。これは建武新政権によって京都中心の五山制度が定められた結果であります。その間、大徳寺は妙超の門派のみが相承することを特許されていました。その二高弟のうち、徹翁義亨(てっとうぎこう)は大徳寺を継いでその基礎を固め、関山恵玄(かんざんえげん)は妙心寺を開いたのでした。

しかし建武の新政が瓦解して足利政権が成立すると、後醍醐天皇と関係の深かった大徳寺は足利将軍家から軽んじられ、五山から除かれてしまいました。

至徳3年(1386年)には、十刹の最下位に近い第9位となっています。

このため第二十六世養叟宗頤は、永享3年(1432年)足利政権の庇護と統制下にあって世俗化しつつあった五山十刹から離脱し、座禅修行に専心するという独自の道をとったのでした。五山十刹の寺院を「叢林」(そうりん)と称するのに対し、同じ臨済宗寺院でも、大徳寺や妙心寺のような在野的立場にある寺院を「林下」(りんか)といいます。

その後の大徳寺は、貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受けて栄え、室町時代以降は一休宗純をはじめとする名僧を輩出しました。

侘び茶を創始した村田珠光などの東山文化を担う者たちが一休に参禅して以来、大徳寺は茶の湯の世界とも縁が深く、武野紹鴎・千利休・小堀遠州をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係をもっています。また国宝の塔頭龍光院密庵(みったん)など文化財に指定された茶室も多く残っているのです。

このため京童からは「妙心寺の算盤面」「東福寺の伽藍面」「建仁寺の学問面」などと並んで「大徳寺の茶面(ちゃづら)」と皮肉られました。

享徳2年(1453年)の火災と応仁の乱(1467–77年)で当初の伽藍を焼失しましたが、一休宗純が堺の豪商らの協力を得て復興。近世以降も豊臣秀吉や諸大名の帰依を受けたのです。

江戸時代初期に幕府の統制を受け、元住持の高僧・沢庵宗彭が紫衣事件で流罪の圧迫を受けましたが、三代将軍家光が沢庵に帰依したこともあって幕府との関係ものちに回復したのでした。近世には「二十四塔頭、六十寮舎・子庵」あるいは「二十四塔頭、准塔頭五十九宇(「六十五宇」とも)」などと呼ばれ、末寺は25ヶ国280余寺、末寺の塔頭130余院を数えるほど栄え、朱印地は2011石余を有したのです。

この広大な寺領が大徳寺の経済的基盤であったのですが、明治維新後の上知令によって多くを失ってしまいました。なんとか堂宇を維持するため明治11年(1878年)、塔頭13寺を合併(事実上廃絶)、4寺を切縮、20寺を永続塔頭とする縮小を行う事で、寺運は栄え今日に至っています。


ZIPANG-4 TOKIO 2020 ~本朝無双之禅苑 大徳寺本坊~ 特別公開のご案内
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/9733249/




京都市文化財(名勝)に登録されている小川治兵衛氏及び小川白楊氏作庭の庭園など数々の庭園をご覧いただけます。白砂の中庭は、建築家 村野藤吾デザイン※によるものです。 


ZIPANG-4 TOKIO 2020 東山の麓 温故知新の伝統を守り進化し続けた130年の歴史は今、令和二年。革新的な一頁を刻む!建築家~村野藤吾から中村拓志へ~
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/8375107




京都 貴船 川床「兵衛」


自然と和の伝統文化を守る 京都『貴船』川床

貴船神社の神主を仰せつかっていた先代兵衛が、御参拝客に近隣の山菜や川魚を使った料理をふるまったことから始る料理旅館。


ZIPANG-5 TOKIO 2020「第一回日本和文化グランプリ」結果発表! 主催(一社)日本和文化振興プロジェクト
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/20819550



隠岐ユネスコ世界ジオパーク 自然の偉大な力「ローソク島」


隠岐ユネスコ世界ジオパークは、「日本海の孤島が生み出した荘厳な大地と独自の生態系、そして 人の営みが織りなす景観」をテーマとしています。

このテーマを一般の方にもわかりやすく伝え、 興味を持ってもらうために隠岐ユネスコ世界ジオパークでは 3 つの要素に分けています。

(1) 隠岐諸島が形成された「大地の成り立ち」 ユーラシア大陸の縁辺であった時代から、湖の時代、海の時代、島根半島の先端の時代を経て 現在のような離島となった隠岐諸島の成り立ち。

(2) 大地の上に成り立つ「独自の生態系」 北方系、南方系、亜高山性、大陸性の植物が共存する不思議な植物分布。

(3) 古代から続く「人の営み」 約 3 万年前から石器の材料として用いられた隠岐の黒曜石を通した古代からの人の営み。 さらに、不思議な生態系や独特の歴史・文化について「地質」「地理」「地形」「歴史」「地域」「地 球」の 6 つのキーワードを用いて考えると、小さな離島に居ながらも「地球とは何か」を知ること ができる貴重な地域です。

隠岐ユネスコ世界ジオパークは、これらの貴重な地域資源を活用し、隠岐の人々が誇りと愛情をもって隠岐を語り伝えられるようになることによって、ユネスコの目的に沿う持続可能な経済活動、文化活動を推進し、隠岐地域の活性化と振興を図ることを目的とします。

隠岐の文化を生み出したのは?

隠岐の多様な文化は、どのようにして生まれ、伝えられてきたのでしょうか。隠岐の歴史・文化の形成要因と考えられる、黒曜石、遠流の島、北前船についてご案内します。


ZIPANG-5 TOKIO 2020 守り伝えられる隠岐の歴史 ~隠岐ユネスコ世界ジオパークの魅力~(2)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/21657243



五感を刺激する~レストラン「TENJIN」~周辺の水盤


ROKU KYOTO のある洛北(らくほく)は、京都の北を東西に走る北大路通りの北に位置する自然豊 かな山あいのエリアである。源義経が幼少期を過ごした鞍馬寺( くらまでら )や京都の奥座敷であ る貴船、かつて皇族貴族が隠棲した大原など、歴史にゆかりの深い場所が多数存在しながら、山あいならではの静寂な自然の美しさを感じられる。

四季折々の風景とともに、東山や祇園などの有名スポットとは趣の違う静かで洗練された雰囲気が漂ってくる。


ZIPANG-5 TOKIO 2020 古今折衷「ROKU KYOTO, LXR Hotels & Resorts」3つのシーンで五感を刺激する唯一無二の~レストラン「TENJIN」
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/19223976



※現在、2200件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


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ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
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ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
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ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
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200件ほどの掲載記事をご覧いただけます。

ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)

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ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/


ZIPANG-7 TOKIO 2020

これまでの、日本の精神文化と国土の美しさについて再発見に加えて その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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