12月9日(土)13:30より、文教大学の文学部日本語日本文学科 鈴木健司教授と教育学部学校教育課程 大島丈志教授が、紀伊國屋書店新宿本店アカデミック・ラウンジにおいて、トークイベント「五感で楽しむ宮沢賢治ー料理、音楽、鉱石、やまなし、絵本ー」を開催します。
様々な作家と作品がある中で、なぜ、宮沢賢治作品はここまで引用され、再創造されるのか、絵本・マンガ・小説・音楽と宮沢賢治作品の再創造をメディアをこえて横断し、そこから見える世界を話します。
日 時:2023年12月9日(土)13:30~14:30(13:00開場)
場 所:紀伊國屋書店新宿本店3階アカデミック・ラウンジ
参加方法:事前申込は不要です。無料でご観覧いただけるイベントです。
事前受付は予定していません。予約なしで当日、受付開始時間に会場にお越しください。
参加多数の場合はお立ち見になる可能性もございます。あしからずご了承くださいませ。
本イベントと関連して、同大学越谷図書館では、11月24日(金)~1月中旬を期間として、鈴木健司教授と大島丈志教授の監修・協力による特別展「五感で楽しむ宮沢賢治」を開催しています。
先生方が所蔵する宮沢賢治関係の貴重な資料を中心に、宮沢賢治とはどういう人物であったか、鉱物・石や農業との関わり、仏教の影響、賢治が作り出した音楽、そして現代文化の中に受容される賢治の作品たち、と、様々な切り口から宮沢賢治を「楽しむ」展示です。
日 時:2023年11月24日(金)~1月中旬※好評につき1月まで展示期間を延長しています
場 所:文教大学越谷図書館1階プレゼンテーションルーム
参加方法:学外の方もご覧いただけます。
お問い合わせ
文教大学越谷図書館
〒343-8511 埼玉県越谷市南荻島3337
電話:048-974-8145 FAX:048-974-8040
e-mail:klib@stf.bunkyo.ac.jp
【愛知県春日井市】
市制80周年記念事業
~朗読でなぞるシンジ・カトウ 宮沢賢治幻燈館~
会場
春日井市東部市民センター
〒487-0011 愛知県春日井市中央台2-2-1
開催日
2024年2月25日(日)15:00~(開場14:30)
入場料
一般¥4,000、PiPi会員¥3,700、【学生の特券】小中高生¥500
※税込み、全席指定、当日券同額
※未就学児入場不可、小学生は要保護者同伴
主催・問合せ
[主催]春日井市東部市民センター
[制作協力]SKIYAKI LIVE PRODUCTION
[企画制作・問合せ]かすがい市民文化財団 電話:0568-85-6868
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(敬称略)
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
小岩井農場 小学校1,2年生が100年杉ポーズ!「そうか子供たちのこのポーズを真似た⁇」
いま天地を分けた重たい扉が開かれた。
イーハートーブの世界へ向かって新しい旅が始まる
・・・さあ~共に進もう!
天まで届きそうな杉木立・・・
この道の果には尖った三角形の天空が突き刺さっているようだ。この厳かな杉林トンネルは若しかすると、異次元世界への道標かな〜?
多分その向こうには、観世音菩薩様かマリア観音様が鎮座される補陀洛があるのかも知れない・・・
小岩井と言えば、先ず小岩井農場のことを思い出します。今や、牛乳製品のメーカーとして、全国規模のスーパーや地域のコンビニに至るまで、このブランド名は小生の頭の中ではNO.1の高級感イメージが伴なっているのです。
それってやはり、宮沢賢治の影響もあるのかも知れませんね。
かれこれ5 0年も前のことでしたか…夏休みに一週間ばかり利用して、4人仲間とユースホステルを利用しながらの今風、青春きっぷの旅でした。
岩手山を背景としたこの場所の雄大な眺望に加えて、バスに揺られ、農場入口に辿り着くアクセス道は美しい森林地帯を走り抜けたのですが、殆ど人家も疎らな中にも所々に見え隠れする洋館風の関連施設なのか ?それらがまた大変エキゾチックに映るのです。
日本は山国、そして瑞穂の国なので、平地に森林等があれば立ちどころに水田と化してしまうので、森の中を真っ直ぐに道が続く風景と言うものは真に珍しいのでは…?
だからグリム童話なんかでは森の中を迷ってオオカミが化けたお婆ちゃんの家に泊まり、食べられそうになったり…こんな物語を日本の子供等は何ら抵抗なく、 想像力を目一杯働かせて、 山奥の一軒家に置換え、怯えたりしてたモンです。
でもイラスト付きなので、それなりに怖いけど、トンガリ屋根の石造りの洋館が見えたりすると、忽ち憧れが優ってロマンチックな雰囲気に浸れたのです。
確か、賢治氏は洋行されていなかった筈ですが、様々な文献で西洋文化に相当な憧れを抱いて居られたに違いない?と拝察しております。
当時の我々だって同様。第2次世界大戦の敗戦国となり、大変貧乏な時代を過ごしていた訳で、例えば高度成長期を支えた我ら団塊の世代族は1970年初期、驚くなかれ大卒初任給は平均3万9,900円だったのです。
それ以降、家族だんらんや遊び等を忘れ、環境汚染の空の下、ウサギ小屋に住み ワーカーホリック(働き虫)となったなど、世界から奇蹟とも、半分は揶揄されながら、給料も毎年倍増でしたから、これも急成長の "オドロ木桃の木" ‼こんな時代を経て今がある・・・ 当時ヨーロッパへの渡航費は1965年4月10日に出発した「ジャルパック/ヨーロッパ16日間コース」は67万5000円だったそうです。
この年、国家公務員の初任給は僅か1万9100円でした。 海外旅行なんて生涯行けるかどうか?夢のまた夢でしたね〜! さて、肝心の宮沢賢治氏の伝えたたかったこととは……? 幸いにもご協力先の小岩井農場様からは沢山の貴重な画像をご提供頂きました。 宮沢賢治氏は、こんな素晴らしい環境の中で夢を膨らませて数々の美しい永遠の"イーハートーブ" 心の中の理想郷を私達に残されました。
これからワクワクしながら謎の "イーハートーブ" を ご一緒に探って参りましょう。
(案内人 鎹八咫烏)
宮沢賢治 座像
宮沢賢治が見たイーハートーブの原像こそは
小岩井農場の景色にあり⁉・・・
宮沢賢治
小岩井農場が登場する作品
● 童話 「狼森と笊森、盗森」「おきなぐさ」「耕耘部の時計」
● 詩 「小岩井農場」「秋田街道」「遠足統率」「春谷暁臥」「母に云ふ」
● 文語詩 「塔中秘事」「青柳教諭を送る」
(詳細は本文にて・・・)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 小岩井農場と宮沢賢治(その1)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/9486454
小岩井農場 放牧 牛たちと岩手山 冬の前に
牛放牧のようすです。深い緑の牧草は、さぞかし美味しいことでしょう~
岩手山 山麓
果てしなき荒野を眺め、驚天動地の夢を描いた巨人がいた ‼
前回の記事で初めて紹介された小岩井農場ですが、実に見事なスケール感をもった画像群には圧倒されましたね〜。 見れば見るほどに日本的な物差しからはみ出た豪壮な大自然、その美しさ ‼
しかし、最も感動したのは、それらが明治の中期、岩手山南麓に拡がる殺伐たる火山系の荒野をひと目見て、これを是非、開拓して農場を創ろうではないかと話を持ち掛けた御仁がいたことです。
(詳細は本文にて・・・)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 新しい自分探しに、そして自分のためのイーハートーブを見つけるために(その2)・・・【寄稿文】日原もとこ
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/9575184
小岩井牧場5月末天文館(カフェ)からの眺め。
ひろびろとした牧草地と奥の防風林。尾根に雪を頂いた雄大な岩木山の眺め
不毛の大地を、緑豊かな大地に
荒野に一本の⽊を植えることから始まった小岩井農場には、不屈の精神でやり遂げた何代にも亘る先人たちの志があります。
森林整備のサイクル
森林の持つ大切な役割について
樹木は光合成によって二酸化炭素を吸収し、炭素を樹木内に蓄積します。さらに、森林は落ち葉などにより、土壌中にも大量の炭素を貯留します。
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第5次評価報告書によると、世界の温室効果ガス排出量の約11%は、森林が農地など他の用途に転用されたことによるものとされています。
逆に、気候変動の進行に対応し、森林を含む陸域、淡水及び海洋にすむ多くの生物は、生息域や季節的活動、移動パターン、生息数及び生物種間の相互作用を変移させているとされています。
森林の減少を抑制し、生物多様性が豊かで質の高い森林を守り増やすことで、森林による炭素の吸収の維持・増加や排出の抑制に寄与し、気候変動の緩和へ貢献することが期待されています。
岩崎久彌(いわさき・ひさや)
(1865~1955) 三菱の創業者、岩崎彌太郎の長男として現在の高知県に生まれる。明治27年(1894年)、三菱合資会社設立と同時に社長に就任、三菱の第三代社長となる。在職20年余、彌之助の展開した諸事業を発展させ、今日の三菱の根幹を築く。明治32年(1899年)、井上勝より小岩井農場を継承。経営基盤の充実を図り森林の創出・充実を目指すとともに、牧畜中心の運営を推し進めた。
(詳細は本文にて・・・)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 小岩井農場と宮沢賢治(その3)~豊かな森林を後世に伝えます~
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/9548644
小岩井農場内尋常小学校
農場の暮らし(私立小岩井尋常小学校)
農場の経営が拡大する中で、農場員もその子弟も増え続けていきました。これに対応するため、久弥は、明治37年(1904年)私立小学校「私立小岩井尋常小学校」を設立しました。
昭和25年(1950年)に公立化されるまで、全国でも珍しい農場立の小学校として、数多くの従業員の子弟が卒業しています。親子二代、三代で農場に務める卒業生も少なくありませんでした。
久彌自身も小学校に深い関心を持ち、農場訪問の際は子どもたちにノートなどの土産を用意していたそうです。
(詳細は本文にて・・・)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 リビングヘリテージ(生きている文化財)「小岩井農場施設」について(その4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/9876738
リビングヘリテージ(生きている文化財)
小岩井農場施設は、洋式農場を目指して設立されたシステムで、それを示す一連の建物群が良好な状態で保存されております。
それらはすべて明治末期から昭和初期にかけての建築で、そのほとんどが今もなお、現役で使⽤されているのです。
国指定重要文化財の建物は、総務部門の下丸、育牛部門を置く上丸、飼料を生産する耕耘部門がある中丸の3つの地区に集中しています。
我が国における近代農場の発展過程を知る上でも重要な文化財であり、近代日本の大規模農場経営の歴史を示す建物群として後世に伝えるべきものでありましょう。
(詳細は本文にて・・・)
ZIPANG-4 TOKIO 2020小岩井農場のリビングヘリテージ(生きている文化財)と文化財保護法について(その5)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/9878893/
小岩井農場 一号牛舎-四号牛舎
「賢治もきっと感じた筈…長閑な夏の一日を・・・」
賢治と小岩井農場の出会い
賢治と⼩岩井農場の最初の接点は、1910(明治43)年、中学二年の秋であったとされています。中学校の登⼭遠⾜に参加し、岩⼿山からの帰り道に⽴ち寄りました。
畜産中心の農場経営になって凡そ10年。ヨーロッパ⾵の牧畜・耕作⾵風景に魅了されたのか、それからは幾度となく農場を訪れています。
中学⼆年の時、寮の同室に武安丈夫という小岩井農場に父親(育⽜部技士・武安陽吉)が勤めていた少年がおり、この少年について、次のような短歌を詠んでいます。
小岩井の育牛長の一人子とこの一冬は机ならぶる
これが、賢治が初めて小岩井農場を登場させた作品ということになります。ただし、実際には丈夫の父陽吉は育牛長ではありませんでした。賢治が勘違いをしたのか、あえて「育⽜長」としたかは定かではありません。
賢治作品の中の小岩井農場
前述の短歌の後、晩年にかけていくつかの作品の舞台に小岩井農場を選んでいます。⽣前発⾏した本は、心象スケッチ『春と修羅』・イーハトヴ童話『注⽂の多い料理店』(いずれも大正13年発⾏)の2冊ですが、双⽅に⼩岩井農場を舞台とした作品(「⼩岩井農場」・「狼森と笊森、盗森」)があります。
特に⼼象スケッチ『春と修羅』所収の「小岩井農場」は1922(⼤正11)年5月の⼩岩井農場⾵景が⽣き⽣きと描かれ、当時の様⼦を知る上でも貴重な資料となっています。
岩手山にかかる雲は大きいね~あれはね、銀河鉄道が流星になって現れる時の駅なんだよ~見えるでしょ~銀河鉄道駅から岩手山のてっぺんに、ひょいと降りた賢治の姿が…森の妖精や、動物や木や花や雪や風や泉や川や霧・・・自然が…ボクら…子供たちと一緒に賢治を待ってるんだ~ 早く来ないかな~クリスマス…きっとマリア観音様も一緒だよ・・・
子供たちの夢をのせて走る銀河鉄道だ~!機関車の前に立っている人の影は…
もしかして・・・かな⁉
(詳細は本文にて・・・)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 小岩井農場と宮沢賢治(その6)~小岩井の育牛長の一人子とこの一冬は机ならぶる~
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/10027024
気仙(けせん)は、伝統文化がいまも豊かに息づく土地です。
歴史的には「黄金の国ジパング」の名の元となった金の産出地としても知られ、 信仰、祭礼、踊り、建築物や美術工芸などを今に伝えています。
柳田國男が絶賛した地としても知られ、宮沢賢治の創作の源一つでもありました。
現在は、大船渡市、陸前高田市、住田町の2市1町に分かれていますが、 文化財の宝庫として、今もケセンは「黄金の国」と呼ぶにふさわしいエリアです。
宮沢賢治がこよなく愛した高原
文化的景観
種山ヶ原
宮沢賢治『風の又三郎』碑
アウトドア施設「種山高原・星座の森」の中央にあるコミュニティー広場に、市民有志によって設置された「風の又三郎像」(中村晋也氏作)が立っています。
種山ヶ原とは
種山ヶ原は、岩手県奥州市、気仙郡住田町、遠野市にまたがる物見山(種山)を頂点とする高原地帯で、物見山・大森山・立石などを総称して別名「種山高原」とも呼ばれます。平原状の高原で気候も冷涼なことから馬の放牧地に適し、藩政時代から利用されてきました。
(岩手県気仙郡住田町世田米大股)
宮沢賢治がこよなく愛した高原としても知られ、童話「風の又三郎」「種山ヶ原」、劇「種山ヶ原の夜」などの作品は、種山ヶ原の風景や気象を題材にしています。宮沢賢治の発想の源である岩手の自然風景地「イーハトーブの風景地」の一つに指定されています。
大正13年頃の早朝の人首町(菊慶旅館の二階から)
詩「人首町」は、早朝の菊慶旅館からまっすぐ五輪峠方向を眺望し、その印象を表したものです。日付けが「五輪峠」「丘陵地を過ぎる」の、翌大正13年3月25日となっており、また「下角稿」の日付から、前夜当旅館に投宿したことが推測できます。
人首町(ひとかべまち)
宮沢賢治
雪や雑木にあさひがふり
丘のはざまのいっぽん町は
あさましいまで光ってゐる
そのうしろにはのっそり白い五輪峠
五輪峠のいたゞきで
鉛の雲が湧きまた翔け
南につゞく種山ヶ原のなだらは
渦巻くひかりの霧でいっぱい
つめたい風の合間から
ひばりの声も聞こえてくるし
やどり木のまりには艸いろのもあって
その梢から落ちるやうに飛ぶ鳥もある
1924年3月25日 春と修羅 第二集
詩「人首町」は、
早朝の菊慶旅館からまっすぐ五輪峠方向を眺望し、その印象を表したものです。
人首(現奥州市江刺区米里)は歴史深い土地柄です。北の明神山から、東の大森山、物見山、烏堂山は、それぞれ坂上田村麻呂と関連ある史跡や、言い伝えのある山々です。その中で大森山は、田村麻呂軍と蝦夷軍の最後の攻防地で、地名の由来ともなった人首丸(悪路王の弟の大武丸の子)の墓があり、言わばこの一帯は古代史エリアになります。
(詳細は本文にて・・・)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 黄金の国ジパング『ケセン』(その12)宮沢賢治が愛した~種山ヶ原と人首町~Ⅰ
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/9285176
平泉 中尊寺
黄金の国ジパング『ケセン』
黄金の国ケセンとは
平泉黄金文化を支えた金の産出地としては、本吉、東磐井、気仙、江刺、遠野が知られています。伊達藩時代の気仙四大金山は「玉山、雪沢、今出山、坂本沢」で苦しい藩財政を支えました。中でも玉山金山は金の産出量の多さから「玉千軒」「千人坑」などの言葉を生み、『東方見聞録』のジパングに記された金山もここを指すとの説もあります。
五輪峠と五輪塔
大正13年3月24日付の詩「五輪峠」から想像される風景や道筋は、現在もところどころ残っており追体験できる場所として再認識させられます。賢治はその日、岩手軽便鉄道の鱒沢駅から鮎貝〜切伏〜五輪峠の行程を、おそらく年下の知人(上大内沢居住者の可能性あり)と共に、またはその彼の案内で、上大内沢を経て人首町方面へ向かったことが推測されます。
五輪峠「五輪塔」
峠の頂上付近は、昭和31年の開通工事で様変わりしていますが、現在の五輪塔の位置は、本来は反対の人首側にあり、かなり小さめで、おそらくそれが賢治の目に映った「しょんぼりと立つ」五輪塔ではなかったかと思います。
その由来は約350年前、人首の五輪街道筋の上大内沢にいた、千葉日向という侍が、父(上野)の菩提を弔うために建立したものです。五輪峠には、様々な歴史が潜んでいます。近世には幾つもの戦いがあり、その度に多くの血が流されたといいますが、この峠にまつわる逸話は、暗く悲劇性の濃い話ばかりです。
編集後記
岩手県には手探り状態で、一旦着手してはみたものの、いや〜驚くことばかり・・・特にその風土性や歴史的な意味では、これ迄表層に現れない部分がぎっしり詰まっていて、何から着手すべきか…戸惑うことのみぞ多かりきでした。
しかし多分、これからの次世代では岩手県ばかりでなく、国民的関心はその他の東北六県や北陸地方、そして是迄辺境の地とされていた、もう一つの日本の魂が隠れている土地にも拡がっていくのだと思います。
何故ならば、内閣府によれば※、今、日本は少子高齢化で急激な人口減の様相を辿る中、大都市への集中化で最悪の場合、2050年には世界で最貧国となる等の予測もあり、行き詰っているのです。そのとどのつまりの答えが・・・地方分散型、多極型都市づくりだそうです。
「今更、遅いよ…」と言いたいナ〜 (苦笑)ハイ…一庶民の浅ましさ…犬?(鎹八咫烏)の遠吠えです。 これ程広い国土を持ち、地方には多くの深い歴史文化、人材、資源を有しながら、放置、又は無視し続けてきた1500年間にも及ぶツケが一気に襲ってくるのでは…?
明治時代以前は表日本とされた日本海側、特にアジア諸国との交易が盛んだった北陸地方の歴史や文化に日本のアイデンティティを探る視点が強まる気がしてなりません。明治維新から続く、西洋崇拝から目に見えない日本の精神構造の原点 (土地神様) に還俗すべきなのでは… 次号以降にはポストコロナの目指すべきイーハトーブ!(言わば理想郷)を描いた岩手のお宝的存在「花巻と宮沢賢治」編をご案内致したく…
※現日本の全人口1億2600万人は、2050年には8000万人台に突入。 (うち4割の3000万人以上が65歳以上の高齢者)。 反対に、現役世代は4000万人余になる。
ZIPANG-4 TOKIO 2020 黄金の国ジパング『ケセン』(その13)宮沢賢治が愛した~種山ヶ原と人首町~Ⅱ
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/9302948/
※現在、2200件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。
新サイトの記事をご覧いただけます。
ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/
最新の記事をご覧いただけます。
ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
https://tokyo2020-6.themedia.jp/
最近の記事をご覧いただけます。
ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/
250件ほどの記事をご覧いただけます。
ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/
235件ほどの掲載記事をご覧いただけます。
ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/
200件ほどの掲載記事をご覧いただけます。
ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/
615件ほどの掲載記事をご覧いただけます。
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