「筆の寺」としても名高い東福寺の塔頭「正覚庵」において、秋の特別拝観を2023年11月3日(金)より開催いたします。(主催:東福寺正覚庵、企画運営:京都コネクト株式会社)
京都東福寺塔頭「正覚庵」秋の特別拝観
京都東福寺塔頭 筆の寺「正覚庵」
京都東福寺塔頭「正覚庵」 筆塚
正覚庵は、正応3年(1290)に東福寺五世住持の山叟慧雲(さんそう・えうん)を開山として、鎌倉時代の武将、奥州・伊達政宗の先祖である伊達政依によって創建された東福寺塔頭寺院です。「筆の寺」として名高く、江戸文化年間に境内へ筆塚が築かれ、毎年11月23日には「筆供養」が行われています。
■特別拝観概要
毎年「筆供養(11月23日)」の日のみ一般公開され、通常非公開の東福寺塔頭の正覚庵ですが、紅葉時期に合わせて特別公開いたします。
京都東福寺塔頭「正覚庵」プロムナード
京都東福寺塔頭「正覚庵」
京都東福寺塔頭「正覚庵」 外は平安期のような紅葉の色に包まれて・・・
灯篭に降り積もる落葉
京都東福寺塔頭「正覚庵」生い茂る苔
受付を終えて足を踏み入れると、書院を囲むようにして鮮やかな緑の木々と生い茂る苔、そして真っ赤な紅葉とのコントラストが美しい庭園が広がります。
京都東福寺塔頭「正覚庵」本堂内陣
京都東福寺塔頭「正覚庵」折り上げ格天井
京都東福寺塔頭「正覚庵」襖には風神雷神 図
今年完成したばかりの書院の縁側で人混みの喧騒を忘れて、ゆっくりとご覧いただけます。また、明治・大正期の実業家として知られる白洲次郎の父、文平が、自らの邸宅「白洲屋敷」の一部を寄進した経緯を持つ本堂、茶室、奥書院も特別に公開いたします。
縁側から眺める京都の秋
■拝観期間・時間・拝観料
拝観期間:2023(令和5)年11月3日(金)~11月19日(日)、
11月25日(土)~12月3日(日) 計26日間
拝観時間:10:00~16:30 (最終入場 16:00)
拝観箇所:書院・本堂・茶室・奥書院 (庭園は室内から鑑賞)
拝観料 :大人 1,000円、小学生 500円、幼児 無料
※団体15名以上 900円、小学生は団体料金なし
■寺院概要
名称 :臨済宗東福寺塔頭 正覚庵
所在地 :〒605-0981 京都市東山区本町15-808
電話 :075-561-8095
宗派 :臨済宗 東福寺派
アクセス:市バス「東福寺」下車、徒歩15分
京阪「鳥羽街道駅」下車、徒歩7分
JR奈良線「東福寺駅」下車、徒歩15分
※自家用車・大型バスの駐車場はございません。お近くのコインパーキングをご利用ください。
※紅葉のシーズン中、東福寺周辺にて自動車の進入が制限される場合もございます。
※タクシーは門前までお上がりいただけます。
余滴
正覚庵
“筆の寺”として知られる
正覚庵は、正応3年(1290)に東福寺五世住持の山叟慧雲(さんそう・えうん)を開山として、鎌倉時代の武将、奥州・伊達政宗の先祖である伊達政依によって創建された東福寺塔頭寺院です。「筆の寺」として名高く、江戸文化年間に境内へ筆塚が築かれ、毎年11月23日には「筆供養」が行われています。
補足
東福寺
東福寺 石庭
東福寺は鎌倉時代前期に摂政・関白を務めた九条道家(くじょうみちいえ)が奈良の東大寺と興福寺を合わせたような大寺院の創建を発願し、開山として「円爾(えんに)」(聖一国師:しょういちこくし)を招いて建立した禅宗寺院です。
後世「伽藍面(がらんづら)」と称されるほど我が国随一の巨大伽藍を誇り、多くの弟子を育成しました。南北朝時代には京都五山の第四に列し、本山東福寺とその塔頭(たっちゅう)には中国伝来の文物をはじめ、建造物や彫刻・絵画・書跡など禅宗文化を物語る多くの特色ある文化財が伝えられています。
国指定を受けている文化財の数は、本山東福寺・塔頭合わせて国宝7件、重要文化財98件、合計105件におよびます。そのうち東福寺所属の絵仏師・吉山明兆(きっさんみんちょう)は大部の禅宗画を数多く描き、代表作に近年大修理の完成した重要文化財「五百羅漢図」があります。
東福寺のすべてをお見せします。
京都国立博物館 特別展「東福寺」
東福寺の寺宝をまとめて紹介する初の機会となる本展では、伝説の絵仏師・明兆による記念碑的大作「五百羅漢図」全幅を修理後初公開するとともに、巨大伽藍にふさわしい特大サイズの仏像や書画類も一堂に展観いたします(※会期中展示替えがあります)。
草創以来の東福寺の歴史を辿りつつ、大陸との交流を通して花開いた禅宗文化の全容を幅広く紹介し、東福寺の日本文化における意義とその魅力を余すところなくご覧いただきます。
期間 2023年10月7日(土)~12月3日(日)
時間 未定
拝観料 未定
お問い合わせ 075-525-2473(テレホンサービス)
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(敬称略)
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
京都 東福寺 国宝 日本最古の巨大山門『三門』
臨済宗大本山 東福寺
「国宝ライトアップ 特別夜間拝観・青もみじライトアップ 特別散策」
東福寺
創建と歴史
摂政九條道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。嘉禎2年 (1236年)より建長7年(1255年)まで実に19年を費やして完成しました。
工事半ばの寛元元年(1243年)には聖一(しょういち)国師を開山に仰ぎ、まず天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備しましたが、元応元年(1319年)、建武元年(1334年)、延元元年(1336年)と相次ぐ火災のために大部分を焼失しました。
延元元年8月の被災後4ヶ月目には早くも復興に着手し、貞和3年(1346年)6月には前関白一条経道により仏殿の上棟が行われ、延元の火災以降実に20余年を経て、再び偉観を誇ることになりました。建武被災の直前にはすでに京都五山の中に列せられていましたから,再建後の東福寺は完全な禅宗寺院としての寺観を整えることとなりました。
仏殿本尊の釈迦仏像は15m、左右の観音・弥勒両菩薩像は7.5mで、新大仏寺の名で喧伝され、足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らによって保護修理も加えられ、東福寺は永く京都最大の禅苑としての面目を伝え、兵火を受けることなく明治に至りました。
明治14年12月に、惜しくも仏殿・法堂(はっとう)、方丈、庫裡(くり)を焼失しました。その後、大正6年(1917年)より本堂(仏殿兼法堂)の再建に着工、昭和9年(1934年)に落成。
明治23年(1890年)に方丈、同43(1910)年に庫裡も再建され、鎌倉・室町時代からの重要な古建築に伍して、現代木造建築物の精粋を遺憾なく発揮しています。また、開山国師の頂相、画聖兆殿司(ちょうでんす、明兆)筆の禅画など、鎌倉・室町期の国宝・重要文化財は夥しい数にのぼっています。
(詳細は本文にて・・・)
東福寺三名橋の一つ『通天橋』
ZIPANG-5 TOKIO 2020 ~医療従事者へ感謝の意を込めた “希望の光”~東福寺史上初!国宝&青もみじライトアップ
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/16392182
武相荘 瓦門・白の新聞受け
長いウッドデッキをゆっくり歩きます。
武相荘 レトロな雰囲気のインテリア
東京都町田市では、白洲次郎・正子の旧宅である、東京都町田市指定史跡「旧白洲邸 武相荘」を運営する株式会社こうげいと、2023年3月9日(木)に観光連携協定を締結し、同市を代表する観光地として更なる地域の活性化及びシティセールスの向上を図ることを発表。
春になり、遊歩道を歩くと、
角を曲がるたび、さまざまな花が出迎えてくれます。
(詳細は本文にて・・・)
ZIPANG-7 TOKIO 2020「旧白洲邸 武相荘」のレガシーを次世代に継承していく!
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/42525348/
石川県能登町 大本山總持寺祖院 雲水
大本山總持寺祖院、正しくは諸嶽山總持寺と言い今から約7百年前元亨元年(1321年) 瑩山紹瑾禅師によって開創されました。
翌元亨2年夏禅師に帰依された後醍醐天皇は綸旨を下され、總持寺を勅願所として「曹洞賜紫出世第一の道場」と定められました。
その後寺運益々隆盛を極め全国にその末寺1万6千余を数えるに至りましたが、明治31年4月13日不幸にして災禍により七堂伽藍の大部分を焼失しました。 これを機に布教伝道の中心を神奈川県横浜市鶴見に移しました。
大本山總持寺祖院、正しくは諸嶽山總持寺と言い今から約7百年前元亨元年(1321年) 瑩山紹瑾禅師によって開創されました。
翌元亨2年夏禅師に帰依された後醍醐天皇は綸旨を下され、總持寺を勅願所として「曹洞賜紫出世第一の道場」と定められました。
(詳細は本文にて・・・)
ZIPANG-5 TOKIO 2020 ~ 曹洞宗 大本山總持寺祖院 ~開創700年を迎えます!
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/16515646
六郷満山 鬼御朱印・ 不動朱印
鬼朱印・不動朱印は「くにさき」にとって特別な御朱印です。
鬼朱印とは「くにさき」の各寺の鬼とのご縁を結ぶ御朱印で、鬼が仏となって人々に幸せを届けるという「くにさき」の文化に基づいています。
また、不動明王は江戸時代には六郷満山全体のご本尊と定められ、日々修行に明け暮れる僧侶達から厚く信仰されました。
「くにさき」にとって特別な2つの御朱印が、新しくなって再登場です。
六郷満山 宇佐神宮 勅使門
六郷満山 富貴寺 大堂
六郷満山とは
国東半島一帯に広がる六郷満山文化
国東半島に伝わる神仏習合の六郷満山文化
六郷満山 天念寺 修正鬼会
六郷満山天念寺修正鬼会(2月11日)
国東半島に点在する数多くの六郷満山の寺は、養老2年(718年)に仁聞菩薩が開基したと伝えられています。仁聞菩薩は、宇佐八幡神の化身(生まれ変わり)として宇佐・国東の地に、今をさかのぼること約1300年前に神仏習合の原点となる山岳宗教「六郷満山」を開かれました。令和元年(2019年)は仁聞菩薩によって開かれた六郷満山の1301年の新たな年を迎えます。
六郷満山 両子寺 石 仁王像
六郷満山 両子寺修行「峯入行」
両子山を中心に数々の修行の場が山・里にあります。これらの修行の場を結ぶ「峯道」が半島一帯に広がっており、この峯道を辿る修行「峯入行」は、10年に一度行われており、2018年には一般の方も参加して峯入行が行われました。
宇佐宮弥勒寺から修行の場は山々へ
宇佐神宮には、宇佐宮弥勒寺といわれる神宮寺がありました。
宇佐神宮には、宇佐宮弥勒寺といわれる神宮寺がありました。現在もその跡は宇佐神宮の境内に残っています。この弥勒寺から国東半島の山々へ厳しい修行の場を求め数多くの寺や岩屋が開かれ、半島に点在しています。
六郷満山 聖なる山へ
(詳細は本文にて・・・)
ZIPANG-3 TOKIO 2020~鬼が仏になった里くにさき~「令和元年【期間限定】特別な御朱印 鬼朱印・不動朱印が新しくなって再登場です。」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6199554
※現在、2150件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。
新サイトの記事をご覧いただけます。
ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/
最新の記事をご覧いただけます。
ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
https://tokyo2020-6.themedia.jp/
最近の記事をご覧いただけます。
ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/
250件ほどの記事をご覧いただけます。
ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/
235件ほどの掲載記事をご覧いただけます。
ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/
200件ほどの掲載記事をご覧いただけます。
ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/
615件ほどの掲載記事をご覧いただけます。
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