ZIPANG-7 TOKIO 2020 特別展「金峯山の遺宝と神仏」12月10日(日)まで開催! 信楽【MIHO MUSEUM】

平安貴族として栄華を誇った御堂関白・藤原道長。 彼は寛弘四年(1007)、自ら書写した法華経を携え平安京を出発し、 奈良県吉野の金峯山山上へ登り、蔵王権現に祈りを捧げ経筒を埋納した。


             建築家I.M.ペイ

            光こそ鍵 


「日本の昔の建築家は、土地と建物そして景観を調和させる、そういったフィーリングをもっていました。もちろん、わたしは真似はしたくありません。しかし、日本人の心、文化、伝統を尊重したいと強く思いました。」

「私は確信しているのです。光こそが建築にとってその成否の鍵を握っていると」


紺碧の空に白雲、地上には太古からか⁈
深い緑が広がり頂上に「MIHO MUSEUM」は建つ。
「MIHO MUSEUM」の四季にはどんな光が降り注いでいるのかな…さあ、行ってみよう❣


ブリッジの奥に明かりが灯る神秘的な眺め…「MIHO MUSEUM」


思わず振り返った…トンネルの中は、まるで石見銀山のように光り輝いて見えた。
今思うと、太閤秀吉の冑のようでもある・・・


逸る気持ちを抑え扉にたどり着く、天の岩戸を開く気分…夢でも見たか


黄金の社、藤原三代でも祀ってありそうな輝きである


パリ・ルーヴル美術館のガラスのピラミッドを想いださせる、掃除が大変だ!
ルーヴルでは、プロの登山家が清掃しているそうだが、ここもやはりそうなんだろうか?


オオ~天然石が出てきたぞ。まさにピラミッド!オルセー美術館のように伝統と現代の融合「古今折衷」。入口で驚いていないで、さあ内部の探検だ・・・

MIHO MUSEUM(滋賀県甲賀市信楽町田代桃谷300 館長:熊倉功夫)は2023年(令和 5 年)9月16日(土)から12月10日(日)までの期間、秋季特別展「金峯山の遺宝と神仏」を開催中です。


奈良県の吉野から大峰山にいたる山系は金峯山とも呼ばれ、藤原道長ら有力貴族が参詣する屈指の霊場でした。道長が土中に納めたお経をはじめとする多くの出土品が発見されており、本展では、近年発見された貴重な出土品を含めた、役行者、蔵王権現など、彫刻、絵画、工芸品を約200点展示し、平安人の心の拠りどころとなった「金峯山信仰」のようすを紹介します。


イメージ 世界遺産古道 大峯奥駈道を行く修験者:鳴川山国有林


イメージ 世界文化遺産 大峯山寺 


■開催主旨

奈良県の吉野と和歌山県の熊野を結ぶ修行の道「大峯奥駈道(おおみねおくかけみち)」がユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の登録資産となって来年で二十年を迎えます。とくに「金峯山(きんぷせん)」とも称され、吉野から大峰山(山上ヶ岳 標高一七一九メートル)にいたる山系には、吉野金峯山寺(山下蔵王堂)と大峯山寺(山上蔵王堂)があり、山上において役小角(役行者)が厳しい修行のすえ祈り出したという蔵王権現を祀り、今なお篤い信仰が寄せられています。


金峯山山上は、平安時代はじめには開かれ、やがて宇多天皇をはじめ、藤原道長、師通ら皇室や有力貴族が登拝してからは「御嶽詣(みたけもうで)」と呼ばれるように多くの人々の参詣する屈指の霊場となりました。折しも仏教の教えが衰える末法の世の到来にそなえ、道長・師通らはお経を書写し、容器に納めて土中に保持する「経塚(きょうづか)」を山上に築きました。それら経塚遺物を含む膨大な出土品は、すでに明治時代には明らかになっていましたが、本展ではそれらに加え、昭和時代に行われた山上本堂修理に伴う発掘調査による出土品や近年明らかになった新資料をはじめ、「金峯山」にかかわる彫刻、絵画、工芸品を展示し、ひろく金峯山信仰のようすを紹介します。


■開催概要

展覧会名: 2023年秋季特別展「金峯山の遺宝と神仏」

英語タイトル:

  Autumn Special Exhibition Treasures and Deities of the Peak of Gold


会 期: 2023年9月16日(土)~ 12月10日(日)

会 場: MIHO MUSEUM

    〒529-1814 滋賀県甲賀市信楽町田代桃谷300 

    電話:0748-82-3411

開館時間: 午前10時~午後5時 【入館は午後4時まで】

休館日: 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌平日)

入館料: 一般1300円、高・大生1000円、中学生以下 無料

    【20名以上の団体は各200円割引】

交 通: JR琵琶湖線「石山駅」より帝産バスMIHO MUSEUM行50分、

    お車で新名神「信楽IC」より約15分

主 催: MIHO MUSEUM、京都新聞

後 援: 滋賀県、滋賀県教育委員会、NHK大津放送局、BBCびわ湖放送、

    エフエム京都、帝産湖南交通

監 修: 関根 俊一(帝塚山大学 名誉教授)

担当学芸員: 片山 寛明(MIHO MUSEUM特任学芸員)

    辻上 祐貴(MIHO MUSEUM学芸員)

展示総数: 195件 うち国宝8点、重要文化財41件、重要美術品9件、

    都・県指定文化財3件、町・村指定文化財3件、初出品69件 

    ※ 会期中、一部展示替えがあります。

展示構成: 第1章 役行者伝説と金峯山信仰の始まり

    第2章 山上本堂の解体修理に伴う発掘調査と遺物

    第3章 蔵王権現

    第4章 道長の金峯山参詣と金峯山経塚の遺宝

    第5章 新出の金峯山経塚の遺宝

    第6章 金峯山・修験道世界の完成


■イベント&プログラム

講演会「金峯山の遺宝からみる王朝美」

日時:2023年11月12日(日)13:30-15:00

講師:関根 俊一 (帝塚山大学 名誉教授)

定員:100名 参加費無料(入館料要) 

場所:南館レクチャーホール 

    予約不要。当日美術館受付棟にて整理券配布。


■代表作品


鋳銅刻画蔵王権現像

平安時代 長保三年(1001) 国宝 西新井大師総持寺蔵

画像提供:TNM Image Archive


金銅藤原道長経筒

平安時代 寛弘四年(1007) 国宝 奈良・金峯神社蔵

画像提供:京都国立博物館

展示期間:10月3日~12月10日


金峯山埋経

平安時代 長徳四年(998)寛弘四年(1007) 重要文化財

藤原道長筆 東京・五島美術館蔵

展示期間:9月16日~10月15日


絹本著色熊野曼荼羅図

鎌倉時代 重要文化財 京都・聖護院蔵

画像提供:京都国立博物館

展示期間10月11日~11月5日


■MIHO MUSEUMについて

自然・建築・美術品が調和した桃源郷

MIHO MUSEUMは1997年11月に琵琶湖の南、信楽の山中に誕生しました。建築設計は、パリ・ルーヴル美術館のガラスのピラミッドを設計したことで知られるI.M.ペイ。

枝垂れ桜のプロムナードを通り、銀色に輝くトンネルをくぐると、吊り橋の向こうに美術館棟が現れる設計は、中国詩に描かれた桃の花に導かれ洞窟を抜けた先に現れる楽園「桃源郷」をテーマにしています。

美術館棟は、建築容積の80%以上を地中に埋設し、建物の上にも自然を復元しています。

フランス語版のミシュランガイドで「必ず訪れるべき場所」として三ツ星を獲得しており、2017年には世界的ブランドのファッションショーの舞台ともなりました。


MIHO MUSEUM 美術館棟エントランス


MIHO MUSEUM トンネルからのぞむ美術館棟


コレクション・常設展示・特別展

所蔵品は、エジプト、ギリシア・ローマ、西アジア、中央アジア、南アジア、中国、朝鮮、古代アメリカなどの古代美術と、仏教美術、茶道美術をはじめ、絵画、漆工、陶磁器などの日本古美術をあわせて約3,000件からなります。

北館では、季節により国内外からの出陳を加えて、開館ごとにテーマ性を持った特別展を開催しています。

南館では、エジプト、西アジア、南アジア、中国・西域の4つのギャラリーで古代美術の名宝を展示しています。



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使


協力(敬称略)

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


吉野聖天大祭 不動明王


【吉野聖天大祭】1日限り

役行者が1350年前に大峰山奧に祀られた日本最古の聖天尊は、縁結び・和合・商売繁盛・学問成就の神様として信仰を聚している。大祭に合わせ、ご本地仏 秘仏 十一面観世音菩薩が特別ご開帳される。

開催期間 2017年10月1日(日) (13:00~)開催場所 櫻本坊 お問合わせ先 0746-32-5011

所在地 〒639-3115 吉野郡吉野町吉野山1269


櫻本坊 仁王門


櫻本坊について

櫻本坊の魅力

厳しい法灯を護り継承された格式ある重厚性と、時代が求める新しい考えを取り入れ、その時・その場・その人を生かすための「感謝」と「敬意」の精神性が生きづく姿勢は、古き良き伝統と新しい風とが融合した大きな魅力となっています。

そして宇宙の秩序や自然の摂理といった大いなる環境の中で、一人ひとりの魂のかけがえのなさに気づくような…静寂と優しさを観じれるのがうれしい道場。それが櫻本坊です。

また修行体験でふるまわれる精進料理は尊い「火」と「水」「地」から産まれた野菜が「地・水・火・風・空」からていねいに調理され、心も体も浄化される料理といえましょう。

                               井光山五臺寺

                               大峯山護持院

                                  櫻本坊


櫻本坊 役行者と弟子


櫻本坊縁起

万葉の時代 天智10年 … 天智天皇の弟、大海人皇子は吉野離宮日雄殿にてご修行されておりました。

激動の時代の中で、「野に放たれた虎」とも称された日々のこと。

ある冬の夜、吉野の山の中に満開の桜がみごとに咲き誇る夢をごらんになりました。

翌朝めざめられ、前方の山を見上げると、冬だというのに夢そのままに一本の桜が美しく堂々と咲いていたのです。 大海人皇子は不思議に思われ、すぐに役行者の高弟 角乗に夢判断を命じました。

角乗とは「宇宙の皇子」と称された役行者を師とし、大峰山で行を積む高徳の僧です。角乗は謹んで答えました。

「桜の花は日本の花の王です。この夢は殿下が天皇の位につかれるよい知らせでしょう」と。

翌年、壬申の乱に勝利し、大海人皇子は帝位につかれ、天武天皇として即位されました。 天皇は大変およろこびになり、夢に現れた桜をもとめ吉野の山に登られました。そして、夢に見た櫻 ( 天武天皇 「夢見の桜」 ) と出会い、そのもとに道場を建立、 「櫻本坊(さくらもとぼう)」と名づけ、角乗を住職に迎えたのです。

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG TOKIO 2020「役行者の衆生済度の菩薩行を伝える吉野【櫻本坊】吉野聖天大祭の開催  (前編)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2940021



聖天の森 図


日本最古の吉野聖天尊は、役行者尊により大峰々中奥深く「聖天の森」に祀られました。今を去ること1350年前のことである。その後より多くのかたがお参りできるようにとご遷座くださったのが吉野山 櫻本坊 聖天堂であります。

聖天尊とは大聖歓喜自在天と称され、梵我一如・和合と調和・財宝の神である。 「大日如来最後方便の身、観自在尊慈悲深重の尊体なり」 と語られるように、宇宙の中心・究極の仏として大慈悲心とともにご出現くださいました。心からこの天に向かうとき、無量の祈願がたちまちに成就すると説かれています。

聖天さまのご本地仏・秘仏 十一面観世音菩薩 特別ご開帳法要であります。


役行者坐像
吉野町指定文化財 鎌倉時代 13世紀 木造


長頭巾(ときん)に内衣、法衣、鑑袈裟(かんげさ)・裙(くん)を着けて結跏趺坐(けっかふざ)されています。 彩色が施され、両眉は外側に長く垂れ、口を閉じ、口・顎髭を長くのばし、玉眼の両眼を見開いておられます。 両眉は外側に長く垂れ、目をやや窪ませ、頬にも皺が刻まれ老相とされていますが、表情には生気が漲り、全体的にしっかりとした骨格が表されています。

針葉樹の寄木造りで、自在に彫られた衣文は自然に流れ、温厚な表情ともども古様を残し安定感に富んだお姿です。 本来、最初に大峯山上で祀られた役行者像は、このように口髭・あご髭を蓄えた老相で温和な坐像であったと考えられます。 合掌

ご宝号 南無神変大菩薩(役行者にすべておまかせし帰依いたします)

ご真言 オンギャクギャクエンノウバソクアランキャソワカ


秋葉大権現像
年代不詳 木造 彩色 寄木造り 像高74cm


『天狗経』に説かれる日本48天狗のお一人で、 『吉野皆杉 小桜坊(よしのみなすぎ こざくらぼう)』と称されます。 僧侶の姿で鼻が高く、八手(やつで)の団扇を持つ大天狗です。 天狗とは山の神のお使いとして、神仏の教えと、信仰する者を護るものです。

山中を自在に駆け、神通力(じんつうりき)をもって未来を予見し、人間の不善を罰します。 手に持つ八手の団扇は、私たちの内外の障難を遠くへ吹き飛ばし、同時に幸福を招いてくれます。 六根清浄・諸難消滅・開運招福の天狗様です。 合掌

ご宝号 南無秋葉大権現(天狗さまにすべておまかせし帰依いたします)

ご真言 オンアロマヤテングスマンキソワカ オンヒラヒラケンヒラケンノウソワカ


大峯山櫻本坊

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG TOKIO 2020「太陽の峯の山『国軸山』として古来より~宇宙や自然と調和する~吉野大峰(後編)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2949412



遠州 秋葉山


秋葉神社


安藤広重 版画 「遠州秋葉山」
昔も今も大変。今は傾斜のきつい石段。何段か途中で数えるのが嫌になる😞
(天の声:この罰あたりめ‼ 御神徳 御神徳)


秋葉神社本殿


秋葉火祭り「心頭滅却すれば火もまた涼し」二度とできません・・・


天空の秋葉山本宮秋葉神社 本 殿と幸福の鳥居

遠都淡海、遠州灘を遙かに望む標高866m秋葉神社

高い石垣が組まれた上社の最高域に、秋葉山頂の神域を背にして建つ、現社殿は、昭和61年(1986年)の再建。流れ造りの本殿と入母屋造りの拝殿を幣殿で繋ぐ権現造りで、建坪130坪、総檜造り拝殿正面には唐破風の向拝が続く。

昭和61年遷座祭 


秋葉山本宮秋葉神社は東海随一の霊山との呼び声も名高い秋葉山を神体山と仰ぎ、創建は和銅2(西暦709)年と伝えられております。 中世には「秋葉大権現」と称して、その御神徳は国中に知れわたり、朝廷からは正一位の神階を賜り、著名な武将からも数多くの名刀が寄進されました。更に江戸時代には全国に秋葉講が結成され、街道は参詣者で賑わいました。今なお古式の祭儀がそのままに営まれ、全国津々浦々より崇敬されております。


由緒

上古は「岐陛保神ノ社」(キヘノホノカミノヤシロ)と申し上げましたが、中世両部神道の影響を受けて「秋葉大権現」と称し、明治初年教部省の達で権現号を改め「秋葉神社」となりました。更に昭和27年全国の秋葉神社の総本宮であることから「秋葉山本宮秋葉神社」と改称しました。


かっての秋葉神社社務所


主な交通手段は徒歩だった時代、秋葉道者(秋葉山への参詣者のこと)は各地で宿泊しながら本宮を目指しました。そのため遠州各地の宿は道者で賑わい、秋葉山山麓にも多くの旅籠が軒を連ねていました。参詣者の多くは午後三時頃に山上に到着し、一晩参籠して明朝祈祷を受けて下山するのが常でした。

明治維新後、当社は「県社」の社格をもって遇されました。文明開化のなか全国で鉄道が整備されましたが、秋葉山周辺では多くの参詣者の要望を受けて遠州鉄道や秋葉馬車鉄道(のちの静岡鉄道秋葉線)、鉄道・バスといった交通網がいち早く整備されました。山頂の参籠者が一晩に400人になることもあり、広い宿泊設備のある二階建ての社務所兼参籠所が建造されました。

この社務所は「秋葉弘道館」と呼ばれる教育機関でもありました。神職や文化人により神職を志す若者や教育を受ける機会のない青少年に学問を教授しました。写真に写る袴姿の少年たちがその学生で常時20名ほど在籍し、彼らは給仕などの手伝いをしながら、読み書き算盤をはじめ神道、和漢の古典を学びました。

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG TOKIO 2020「 秋葉の火まつり・ 防火祭が始まる!秋葉山本宮秋葉神社の御神徳は、火の幸を恵み、悪火を鎮め、諸厄諸病を祓い除く火防開運の神」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3373032



水窪石 怒りの呪文が刻まれた縄文のペトログリフ


信州諏訪大社にはユダヤとの関連性が指摘されているそうですが、イスラエルと隣接したレバノンを拠点に地中海沿岸に勢力を広げたフェニキア人もまた遠州へ来ていた痕跡が残されています。

水窪石は昭和35年に水窪町の水窪遺跡(縄文時代の遺跡)から出土している。石には記号とも文字とも判別が付かない模様が刻まれている。

同年に静岡県立天竜林業高校の池本教諭が水窪石に関する調査を発表したらしいが、神代文字の刻まれた縄文時代のペトログリフとして多くの研究者が解読を試みたが結論は未だ出ていないようだ。

最近では「古代フェニキア文字」が刻まれているという説が有力のようで、「バルーツ(女神)ガシヤン(男神)に奉る」と書かれているのだという。バルーツとは、フェニキア民俗のいたシリアの自然神バアルの女性形だと云う。

然し、水窪民俗資料館では更に詳しい解読文が水窪石のレプリカに添えて展示されている。


天竜に生えている杉?レバノン杉はスギ科に近縁だがマツの一種で、八衢に幹分かれしているものが多い。フェニキア人はシリア、パレスチナ、イスラエル周辺を根拠地に地中海沿岸へ進出した海洋民族である。 レバノン杉を使って舟を作ったという。


塞の神、境界の神といえば、岐神(八衢比古神)、二俣神クナトである。


クナト大神威様は、本来の出雲の最高神であるとする説がある。 「くなど」は「来な処」すなわち「きてはならない所」の意味で、道の分岐点、峠、あるいは村境などで、外からの外敵や悪霊の侵入をふせぐ神であると云われる。

岐神の祀られている場所では何故か、本来一本の幹で真っ直ぐ伸びるはずの杉が、八衢(やちまた)に幹分れし、何らかの強大な力でねじ曲げられたように生えている。

出雲族の最高神であるとされるクナトは、アマルナ革命を行ない唯一神アテン神信仰を広めたエジプトのファラオ「イクナートン」(=アクエンアテン、アメンホテプ四世B.C.1362~1333頃)を指し、出雲族の起源をモーゼに従ってエジプトを出たアテン神信者とする説もあるようで、出雲=諏訪=ユダヤ説と共に一部にマニアックな研究者がいるようです。

(イクナートンを信奉する人々は、エジプトを追われイスラエルに逃れ、彼らは「失われた十支族」の一つで、日本に来てクナトを信奉する出雲族となり、応神天皇に滅ぼされて天竜川を遡り諏訪へ逃げ込んだ。)

古代フェニキア人が天竜区へ来ていた?

よく云われる諏訪と出雲、邪馬台国、ユダヤとの関係を結ぶミッシングリンクは天竜区にある?

ユダヤと諏訪、フェニキアと水窪、ミシャグジと天竜川、クナトと二俣。

地元の研究者曰く「秋葉信仰の謎を解く鍵かもしれない。」

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG TOKIO 2020「初夢 秋葉信仰の源流は縄文時代より?」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3467792



恵利原の水穴(天の岩戸)


湧水 三重県志摩市磯部町恵利原

伊勢志摩国立公園内の逢坂山の中腹にある洞窟から湧出しており、志摩用水の源水となっています。涸れたことのない清い水は、天照大神が隠れ住まわれたと伝えられる伝説の場所。天の岩戸の伝説とともに、古くから地域内外の人々の信仰を集めています。



由来・歴史

天照大神が隠れ住まわれたと伝えられる伝説の場所。水穴の近くには雨乞いにご利益があると言われている水神が祀ってあります。

現在の参道は大正時代に真珠王の御木本幸吉が、一人でも多くの方に訪れて頂けるように改修したと言われています。

(詳細は本文にて・・・)



ZIPANG-2 TOKIO 2020「天照大神の隠れ家伝説 天の岩戸 恵利原の水穴(志摩市)」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4435926



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ZIPANG-7 TOKIO 2020

これまでの、日本の精神文化と国土の美しさについて再発見に加えて その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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