ZIPANG-7 TOKIO 2020 新潟県「関川村」の見どころ(1)


                             関川村について

                                  石置木羽葺屋根の母屋


渡邉邸 

米沢街道における豪商・豪農・大庄屋の屋敷。昭和29年(1954)には国の重要文化財に指定されました。広さ3,000坪の敷地に石置木羽葺屋根の母屋、6つの土蔵、国指定名勝の庭園があります。


関川村の歴史・文化

関川村は日本海側と内陸を結ぶ交通の要衝にあり、先史時代より荒川沿いに道ができて発達してきました。


今から約500年前、米沢の戦国大名、伊達種宗(たねむね)が羽越国境の大里(おおり)峠を開き、そこにつながる道が次々と整備され、十三峠ができました。


十三峠

鷹の巣峠-榎峠-大里峠-萱野峠-朴ノ木峠-高鼻峠-貝淵峠-黒沢峠-桜峠-才ノ頭峠-大久保峠-宇津峠-諏訪峠



米沢街道

米沢街道の歴史と概要

「越後米沢街道」は、山形県置賜地域と新潟県下越地域を結ぶ約70kmの街道で、13の峠があることから「十三峠」と呼ばれています。十三峠は1521年(大永元年)に伊達14代の種宗(たねむね)により羽越国境の大里峠が開かれたのが始まりで、江戸時代にかけて順次整備されました。


この街道を通って米沢方面に運ばれる荷物を「上り荷」といい、塩、鉄、魚、お茶などが運ばれ、越後への「下り荷」は小国蔵米、織物の原料・青麻(あおそ)・煙草・漆・蝋燭などが運ばれました。


1996年黒沢峠、大里峠、鷹の巣峠が「歴史の道百選」に、2008年「越後米沢街道・十三峠」が日本風景街道に登録されました。


明治時代 米沢街道十三峠を旅した英国の女性旅行作家 イザベラ・バード

旅行記「日本奥地紀行」の著者イザベラ・バードは、明治初頭、横浜から函館まで東北地方の旅の途中、十三峠を歩きました。バードは明治11年(1878年)7月11日新潟県関川村沼、7月12日小国町市野々(いちのの)、7月13日川西町小松に宿泊しました。十三峠の山中では「大きな山岳地帯に難儀したこと」が記されるとともに、米沢平野を「東洋のアルカディア」と称したことが有名です。


新発田または村上の城下町を起点にこの十三峠を越え米沢城下町に至る街道は米沢街道と呼ばれ、その宿駅として、また荒川舟運の拠点として盛えたのが関川村の下関・上関です。


その中心地には国指定重要文化財「渡邉邸」と「佐藤邸」、県指定文化財「津野邸」、村指定重要文化財「東桂苑」と四つの豪壮な建物が並び、江戸~明治期の街道の風情を今に伝えるこの街並みは平成19年「美しい日本の歴史的風土100選」に選ばれました。


渡邉邸

米沢街道における豪商・豪農・大庄屋の屋敷。
昭和29年(1954)には国の重要文化財に指定されました。広さ3,000坪の敷地に石置木羽葺屋根の母屋、6つの土蔵、国指定名勝の庭園があります。




渡邉邸について

廻船業、酒造業や新田開発で財を築いた豪商・豪農の館で、いまだ江戸時代のたたずまいを鮮明に残しています。


現在の渡邉邸は度重なる火災のあと、文化14年(1817)に再建され、周囲に堀と塀を巡らせた3,000坪の広大な敷地に、500坪の撞木造りの母屋、6棟の土蔵、庭園が配置されています。


昭和29年(1954)に母屋、金蔵、米蔵、味噌蔵の3蔵が、昭和53年(1978)に宝蔵、新土蔵、裏土蔵、塀3棟と慶応3年(1867)に描かれた屋敷図、宅地、米蔵の附としての棟札3枚が、それぞれ国の重要指定文化財に指定されました。


また、江戸時代中期に京都から遠州流(えんしゅうりゅう)庭師を招いて構築した庭園が、昭和38年(1963)に国の名勝に指定されています。


建物は昭和39年(1964)の新潟地震や昭和42年(1967)の羽越大水害、近年の白アリ被害などで老朽化が目立ってきたため、6年の歳月をかけて平成26年(2014)、平成の大修理を完了しました。


映画「峠 最後のサムライ(役所広司 主演)」の撮影が行われた古民家・大庄屋「渡邉邸」


ダイドコ(台所) 昭和時代、我が家も「おくどさん」でお米を焚いていた・・・
かまどに竹の筒で火をおこした懐かしい想い出が蘇ってきた!
そうそう、薪を作るのに鋸を引いて輪切りにした丸太を台に少し小さめの丸太を乗せ、長い柄の斧を振りかぶって割る作業は、悪ガキと言えども小学生にはきつかった・・・😓

(天の声:こら~また悪い癖を出しおって、人の同情を買おうとするな~はしかい奴め😠)


渡邉家の歴史

初代儀右衛門善高(よしたか)は、村上藩主松平大和守直矩(なおのり)の家臣で郡(こおり)奉行をしていましたが、藩主が姫路へ国替えのとき、家督を嗣子(しし)に譲り、桂村に隠居。寛文7年(1667)現在地に転居しました。


2代目三左衛門善延(よしのぶ)は廻船業を営み、酒造業を開業して財を成し、3代喜久(よしひさ)は、享保11年(1726)財政難に苦しんでいた米沢藩に融資を行い、幕末まで10万両以上用立て、その功により5代目以降米沢藩勘定奉行格の待遇を受けました。


7代善映(よしあき)は寛政10年(1798)450石の知行を与えられ、米沢9代藩主上杉鷹山公の藩政改革におおいに貢献し、10代善郷(よしさと)は、大正7年(1918)米坂線の誘致に尽力し、昭和11年(1936)の全通に至りました。


11代萬壽太郎(ますたろう)は、六三三制実験校誘致、診療所の開設、財団法人渡邉家保存会の設立など多くの社会貢献をしました。12代和彦は、平成20年(2008)から6年かけて平成の大修理を決断実行しました。


このように渡邉家代々の当主は、米沢街道宿場町の利を生かした事業を展開して財を成し、それを大名貸や神社仏閣の再建、私財を投じた公共事業の推進など、地域の政治、社会、文化の発展に多大な貢献をしてきました。


母家

建物は街道に面し平行に建つ棟(前棟)と直角に建つ棟(後棟)の二つの棟からなり、屋根はT字型の「撞木(しゅもく)造り」です。


土間はどこよりも広く取ってある。最盛期、一万俵の米俵が持ち込まれたとか・・・



母屋の通用口から入ると、採光のため吹き抜けになっている土間が広がります。大座敷、二之間、納戸座敷は繊細な数寄屋風の造りで、壮大さと繊細さを合わせ持つ建築です。


もう一つの囲炉裏


オーストリアのマリアテレジアイエローのような土壁とアジロ張りが目印…大座敷の一角




部屋の数は約40室、便所7ケ所、浴室4ケ所と大規模なお屋敷で、最盛期には70名ほどが暮らしていました。


また

屋根は石置木羽葺屋根(いしおきこばぶきやね)と呼ばれるもので、杉の薄板(木羽)を重ねて並べ、押さえの石を置いた独特の造りとなっており、渡邉邸の石置木羽葺屋根は木羽20万枚、置石1万5千個が使われ、日本最大規模を誇ります。


土蔵

慶応3年(1867)の屋敷図を見ると12の蔵があったことが分かりますが、現存するのは、米蔵、味噌蔵、金蔵、宝蔵、新土蔵、裏土蔵の6棟で、いずれも国指定重要文化財です。


庭園

江戸時代中期、京都から遠州流の庭師を招いて築かれました。


渡邉家は廻船業を営んでいたことから、石材の多くは紀州・小豆島・京都鞍馬石など関西方面のものが使用されています。


料金

大人 600円

小人(小中学生)※未就学児は無料 250円

障がい者 450円

団体大人(20名様以上) 500円

団体小人(20名様以上) 200円

2館共通券( 隣接する「歴史とみちの館」も見学可) 750円

ゆ〜む共通券(日帰り温泉施設「ゆ~む」も利用可) 1000円

渡邊邸年間パスポート
(ご本人様に限り、申込日より1年間有効) 2000円(関川村民は1500円)

有料ガイド

※当日申込みは、お引き受けできない場合があります。

※10名様以上で事前予約いただければガイド無料です。 ガイド1名につき1000円


ご記憶にある方もおられると思いますが、テレビ・映画のロケにも使用されています。

NHKドラマ「蔵」 平成7年(1995) 出演:松たか子、井上真央 他

映画「峠 最後のサムライ」 令和4年(2022)公開 出演:役所広司、松たか子 他


渡邊家 座敷 本格的な和の建築


所在地 〒959-3265 新潟県岩船郡関川村下関904

営業時間 9:00 ~ 16:00

定休日 定 休 日 :年末年始(12/29~1/3) のみ

交通アクセス ●JR米坂線「越後下関駅」より徒歩で5分

●日本海東北自動車道「荒川胎内IC」より車で15分

駐車場 ・普通車:役場駐車場(40台)

・大型車:役場駐車場(6台)

無料ガイド 土日祝日 定時ガイド ①10:30~11:30②14:00~15:00

※団体のお客様はご予約時にお申し付け下さい。

売店 渡邉邸にまつわる書籍の他、菓子、小物等を販売

人気No.1は当館オリジナルの稲ワラで作った縁起物の「福亀」です。

他所にはない手作りの楽しい物品を多数販売しています。

問い合わせ先 電話:0254-64-1002



東桂苑

※昨年8月3日、4日の豪雨の際の落雷被害により、休館しております。


東桂苑(村指定文化財)


明治38年に、当時の建設技術の粋を集め、渡邉家の分家として建築されたものです。木造2階建て入母屋造りの堂々としたたたずまいが印象的です。純和風の風情ある庭園との調和も楽しめます。特に初夏の新緑と秋の紅葉の時期はおすすめです。

​昭和57年、関川村が管理することになり、村民から愛称を募集して「東桂苑」と名付けられました。


所在地 新潟県岩船郡関川村下関906-2

営業時間 9:00〜16:00

交通アクセス ●JR米坂線「越後下関駅」より徒歩で7分

●日本海東北自動車道「荒川胎内IC」より車で15分

駐車場 普通車:20台

関川村役場、道の駅関川の駐車場もご利用いただけます。

料金

大人:100円(30名様以上の場合は90円)

小・中学生:50円(30名様以上の場合は30円)

​※令和4年度は、入館料無料となります。

貸切料金(日額) 全館:10,000円

座敷:6,000円

碁天の間 2 室:3,000円

6畳1室:1,000円

​※土日・祝日の貸し切り利用に関しては、碁天の間(2室)のみとさせて頂いております。

問い合わせ先 電話:0254-64-1349



津野邸 (県指定文化財)



渡邉邸に隣接する県指定文化財津野邸は、現在の姿になるまでたびたび改造の手が加えられましたが、商家構造の建造物として極めて貴重な存在です。(非公開)



佐藤邸 (国指定重要文化財)



明和2年(1765年)の建築。渡邉邸とともに18世紀の町並みを形づくっています。茅葺屋根の豪壮な屋敷の雰囲気が庄屋の面影を伝えています。平成3年には国の重要文化財の指定を受けました。(非公開)



せきかわ歴史とみちの館

「せきかわ歴史とみちの館」は石置木羽葺屋根撞木(いしおきこばぶきやねしゅもく)造りをイメージした外観のミュージアムです。



館内では、村の歴史資料が展示されているほか、渡邉邸など旧米沢街道の18世紀の街並みが模型で紹介されています。


渡邉邸所蔵の宝物も多数展示され、本物の甲冑を無料で着ることができます。

ギネス世界一に認定された竹とワラでつくった”大したもん蛇”の頭を展示しています。


道の駅に面した広場には、集落の森と呼ばれる雑木林の中に遊歩道が整備され、子供たちが自然とふれあえる空間として、村のヒノキで作ったツリーハウス「つりーほーむ」と2階建ての「つりーほーむデラックス」の他、旧小学校や旧保育園から移設した滑り台やブランコなどの遊具もあり、多くの親子連れが訪れる憩いの場となっています。


所在地 〒959-3265 新潟県岩船郡関川村大字大字下関1311

営業時間 10:00~16:00

定休日 毎週月曜日(月曜祝日の場合は翌火曜日)/年末年始

料金 大人:300円(20名以上は一人250円)

小・中・高生:150円(20名以上は一人100円)

問い合わせ先 電話: 0254-64-1288



編集後記

当初、「心電図解析サービスを提供するココロミル、新潟県関川村と業務委託契約を締結。村民のPHR取得と活用を見据えて、心電計によるストレスチェックの実証実験を開始」の記事を配信する予定でありましたが、編集しているうちに「新潟県関川村」?そう言えば聞いたことのある地名だなあ~(失礼)と、ふときずいて過去の編集記事を調べたところ藁で編んだ大蛇の祭「”大したもん蛇”」の村ということがわかり、当時見どころの多い村なのでもっともっとご紹介しておけばよかったと悔やんでいたことを想いだし、今回、天佑神助によって巡り合うことが出来ましたので忘れないうちに、先に新潟県関川村「見どころ」からご紹介しております。


新潟県関川村「見どころ」

次回に続く・・・



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使


協力(順不同・敬称略)

関川観光協会
新潟県岩船郡関川村大字下関912番地(関川村役場内) 電話:0254-64-1478

公益社団法人 新潟県観光協会
〒950-8570 新潟県新潟市中央区新光町4番地1 電話:025-283-1188

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


新潟「五泉のチューリップ畑」


〜最近の若者達にみる不思議な動向に潜むもの〜

最近、「令和」になったばかりであるが、そればかりでなく…一昨年辺りから新しい時代に突入したのでは?と思うことが屡々ある。

田舎の知人友人達の近況報告や、雑談…そしてこの仕事に携わるようになって、何だか様子が以前とは違う? 特に過疎地域やシャッター通りになってしまった地方の中心街空き家に、若者達が移住したり、活動し始めたり…の現象である。

・・・あれ〜…なんだろう?と正体は見えねどその不思議なこの動きの謎に引っ掛かっているのは事実。

虚を突かれた珍しい出来事だ。いまは、ただ唖然の境地で見守るばかりの中高年層だ。思えば・・・

我々、団塊の世代は高度成長の主役として今日の日本を支えてきた人種であった。その結果が、世界を驚かせた経済大国日本!アジア圏の輝かしいリーダー国として輝かしい地位を築きあげた…という自負があった。しかし…

ふり返れば、楽しかるべき青春や家庭を犠牲にして、ワーカホリックと呼ばれる働き続けてきた代償が環境破壊、少子高齢化、経済格差、地方格差、弱肉強食の競争社会を招いていたのである。

そして、一番の悲劇は何を隠そう…自分達の時代に欠けていたものは…心の空洞化ではなかったか?

それが、一世代前の我が子らの時代である。そのツケは教育現場にも見事に連動した。教育者たる教師も同じ労働者。経済優先主義は詰め込み主義と同次元だ。時間に縛られた彼らは本来の哲学や目標を失い、子供の心の奥底まで覗くゆとりをなくしていた。子どもたちは得体のしれぬ何かに飢え、希望を無くし無気力になっていった。その下で、小中学校での荒れ、校内暴力、陰湿ないじめの現象が相次いだ。そしてその次の世代の若者こそ、いま目の前にいる孫の世代…20~30代の若者達なのだ。時代背景はすっかり、様変わりしている。

バブル景気とそれが弾けた後に、急速に進んだ一億数千の日本全体にハイテクの波が押し寄せ、バーチャル世代に突入する!操作に難渋する 団塊の世代はガラケーにしがみつき、新人類との価値観の乖離は二極分化する時代に突入。魔法のようにパソコン、ハイテク機器を自由に操作する若者や子どもたち。彼らはバーチャルな世界を自由に駆け巡る。それは不可能を可能にするもう一つの世界を手に入れたのだ。早く言えば現実逃避。非現実の世界では自分が望む儘に主役にも、支配者、勝者にもなれる。しかし、それはリアルな世界に戻れば

結局は夢であったことを悟るのである。その落差は余りにも厳しい。

一方、取り残されたガラケーの人々はどうか?しっかり身についた"イケイケドンドン"の合言葉は今も頭を占拠した儘である。若者達が自由を求めて故郷を捨て去り過疎化した限界集落を先祖から受継いだ方法で頑なに守るのだ。現実は厳しく結果はみえている。ある日突然人っ子一人いない景色が・・・それも目前に迫まって来た。

さて、過疎地域や限界集落、地方都市共通のドーナツ化現象と中心街の空洞化を抱える地方自治体は大企業への呼び込みや小手先のイベント等、あの手この手を駆使して、もがき苦しんでいるのである。

そこで、冒頭の若者達の過疎地域やシヤッター街への回遊現象に話を戻してみよう。ガラケー世代にとって、こうした周りの状況に変化が忍び寄りつつあることをそこはかとなく感じる今日此頃である。

そんな折も折、こんなニュースが飛び込んできた。


ZIPANG-3 TOKIO 2020「地方創生ワカモノ会合in新潟 ~スマート農業で、地域は変わる~」の開催について
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6279200



旧齋藤家別邸で紅葉を愛でる


旧齋藤家別邸は、豪商齋藤家の四代齋藤喜十郎(庫吉1864~1941)が、大正7年(1918)に別荘として造ったものです。 砂丘地形を利用した回遊式の庭園と、近代和風建築の秀作といわれる開放的な建物は、大正時代における港町・商都新潟の繁栄ぶりを物語る文化遺産です。

戦後この邸宅は進駐軍による接収を経て、昭和28年(1953)には加賀田家に所有が移りました。

時代が移り平成17年(2005)、所有権の移転や解体の可能性などの話題が聞こえてくるようになり、保存を願う運動が市民有志によって起こされました。 署名・募金運動、市議会への請願などが実を結び、平成21年(2009)、新潟市はこれを公有化しました。


ZIPANG TOKIO 2020「越後 【庭屋一如】 大正ロマン 国指定名勝『旧齋藤家別邸庭園』開港150年 (その壱)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3619290



広縁から名勝を望む


齋藤喜十郎家は、東堀通7番町に居を構え、新潟の三大財閥のひとつに数えられた名家である。屋号は「三国屋」で、その先祖は越前国三国港から移住したと言われている。幕末の頃、家業の清酒問屋から事業を発展させ、明治時代に入ると、北前船経営に本格的に取り組むようになりました。そして海運業で得た利益をもとに、土地の集積と有価証券投資を行い、地域経済の近代化に大きく貢献しました。沢海の伊藤家など有力地主や商家と姻戚となり、系列企業に親族を配し、地方財閥としての体裁を整えていきました。

また商標から「山三(ヤマサン)」と呼ばれ、当主は代々喜十郎を襲名している。


ZIPANG TOKIO 2020「庭屋一如 旧齋藤家別邸 国指定名勝の建物・庭園の見どころと北方文化博物館本館、近隣のご案内(その弐)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3635570



天から優婆尊が降りてくる絵が飾られています


姥神(うばがみ)とは

姥神の定義の説明の前にまず、奪衣婆の説明をさせていただきたい。 奪衣婆とは、死後にあの世へ渡るための三途の川の岸辺にいて、亡者の衣を脱がせる存在である。なぜ脱がせるのかと言うと、その衣を衣領樹(えりょうじゅ)と呼ばれる木の枝にかけるためである。そうすると生前の罪の大きい者は枝が大きく下がり、小さい者はほとんど動かない。亡者の罪はその衣に重さとなって染み込んでいることになる。衣領樹は罪を量るはかりであり、それを審査するのが奪衣婆である。


ZIPANG-4 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その13)新潟五頭山麓 羽黒地区『優婆堂』優婆尊縁起によると…【寄稿文】廣谷知行
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7504639




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ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
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ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
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ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
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ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)

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ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
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ZIPANG-7 TOKIO 2020

これまでの、日本の精神文化と国土の美しさについて再発見に加えて その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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