ART Is. TOKYO GALLERYでは、
アマゾン森林保護の為のチャリティイベントを開催❣❣❣
アマゾンの森はかけがえのない地球の宝。
茅葺の家。アマゾンしんぐーインディオ集落と自然。
駆ける。未来へ...この時期にしか出現しない蝶。子供たちも大喜び!
冷え込む夜、家の中で焚き火を焚いて暖を取る。火を囲んで民話の語りが始まりました。
先住民族の存在がその大切な森を守っています。イキペンギ族の若者たちと・・・
熱帯森林保護団体(RFJ)は、アマゾン熱帯林の保護とその地に暮らす先住民族の支援に取り組む、国際協力団体(NGO)です。
当団体スタッフは毎年現地を訪れ、先住民と生活を共にしながら、現場で何が必要とされているかを考え、様々な支援事業を展開しています。
『アマゾン先住民族から南研子へ 深い絆と感謝のアート展 Ⅱ 』
会期:2023年9月8日(金)~10月29日(日)※毎週金土日のみ会場
会場:ART Is. TOKYO GALLERY
【東京都渋谷区代官山町3−13 代官山エーデルハイム103】
展覧会は、NPO法人 熱帯雨林保護団体代表の南研子氏による
アマゾン先住民族の作品販売に於けるチャリティイベントになります。
南氏は、30年以上前から”地球の酸素はアマゾンが守ってくれている、その森を絶対に絶やしてはならない”という真摯な思いから、アマゾンの森に入り先住民と寝食を共にし、彼らの望むことになるべく手を差し伸べようと、私財を投じて長年支援されてきました。
いつか日本にアマゾンを知っていただけるような美術館を作ろうと、アマゾンの先住民族が手がける作品を大切に集め、保管してまいりましたが、昨今のコロナ禍で企業からの協賛金が減り、継続的な支援が難しくなってきたため、南氏の私蔵コレクションを展示販売するチャリティイベントを開催することとなりました。
現在も山火事や開拓で東京ドーム28万個分の森が燃えておりますが、南氏は、アマゾンの先住民族が自然を活かして自立できるよう、養蜂事業支援などにも力を入れています。
今回は美術品と共に、活動の様子なども一同に展示いたします。
多くの方にアマゾンの森の現状に想いを寄せて頂き、ご来場をお待ちいたしております。
【素朴で美しい希少なアートたち】
【南研子】
NPO法人 熱帯森林保護団体「Rainforest Foundation Japan」代表(環境哲学・現代社会思想・文化人類学・アマゾン熱帯雨林文化論)
1970年女子美術大学卒業。大学卒業後、NHKテレビ『ひょっこりひょうたん島』などの制作を担当。その他、舞台芸術やのコンサートのプロデュースも手がける。1989年、英国の歌手スティングがおこなったワールドキャンペーン・ツアー「アマゾンを守ろう」の支援スタッフをつとめ、その縁で、1989年5月に、熱帯森林保護団体Rainforest Foundation Japanを設立した。以後34回にわたり、毎回数ヶ月、アマゾンのジャングルで先住民と共に生活しながら、悠久の大地アマゾンをめぐる様々な支援活動(森林保全、医療支援、先住民文化記録事業など)を勢力的にすすめている。その画期的で献身的な活動については、朝日新聞、毎日新聞など各種報道機関にて激賞され広く喧伝されてきた。
著書に名著『アマゾン、インディオからの伝言』(ほんの木)のほか、大自然と人類への熱いメッセージを綴った『アマゾン、森の聖霊からの声』(ほんの木)がある。
【イベント】
①研子さんナオミさんトークショー
”お帰りなさい!なんと4年ぶりのアマゾン!貴重なお土産話満載”
<NPO法人 熱帯雨林保護団体 代表 南研子氏 ✕ 理事 松田ナオミ氏>
2023年9月8日、10日、16日、29日、10月7日、20日、29日 ※各回14時~
( 定員各回20人 事前予約購入制 /チャリティー¥3,000 )
②熱量をシェアする 研子さん新刊出版記念トークショー
”なぜ今ブラジルアマゾンを子どもたちに伝えたいのか?”
<NPO法人 熱帯雨林保護団体 代表 南 研子氏 ✕ 担当編集者・山林 早良氏(合同出版)>
9月9日、24日、10月15日 ※各回14時~
( 定員各回20人 事前予約制 /無料 )
アマゾンと日本の深い絆
アマゾンの大自然を護る 勇敢な戦士たち
【お申込み・お問い合わせ先】
担当:MICKEY info@art-is.net
ART Is. TOKYO GALLERY
#103 3-13 Daikanyama-cho Shibuya-ku Tokyo 150-0034 Japan
Tel: 03-3496-1739
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(順不同・敬称略)
特定非営利活動法人 熱帯森林保護団体(RFJ)
〒154-0012 東京都世田谷区駒沢1-8-20 TEL : 03-5481-1912 FAX : 03-5481-1913
紅山子(こうざんし)
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アーカイブ リンク記事をご覧ください。
民族共生象徴空間とは
アイヌ文化復興等に関するナショナルセンターです。
民族共生象徴空間
アイヌ文化の振興や普及啓発は、1997年のアイヌ文化振興法の施行により、北海道内の各地域を中心に様々な取組が展開され、また、アイヌ文化伝承活動の裾野拡大等の一定の効果が現れたものの、伝承者が減少し、アイヌ語や伝統工芸等、存立の危機にある分野が存在しているとともに、未だなお、アイヌの歴史や文化等について、国民各層の幅広い十分な理解が得られていないといった基本的な課題に直面しています。
このような背景を踏まえ、「民族共生象徴空間」は、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」(座長:内閣官房長官)が2009年7月に取りまとめた報告書において、アイヌの人々が先住民族であるとの認識に基づき今後展開されるアイヌ政策の「扇の要」として提言されました。
「民族共生象徴空間」は、アイヌ文化を復興するための空間や施設を整備するというものだけではなく、我が国の貴重な文化でありながら存立の危機にあるアイヌ文化を復興・発展させる拠点として、また、我が国が将来に向けて、先住民族の尊厳を尊重し、差別のない多様で豊かな文化を持つ活力ある社会を築いていくための象徴として、複合的意義・目的を有する空間として整備されるものです。
位置
「民族共生象徴空間」の中核区域は、北海道白老郡白老町若草町のポロト湖畔です。
中核区域には「国立アイヌ民族博物館」と「国立民族共生公園」が、ポロト湖東側の太平洋を望む高台には「慰霊施設」が、それぞれ整備されます。
(詳細は本文にて・・・)
アイヌの人たちの衣服「ふだん着と晴れ着」
ふだん着
樹皮衣。アイヌ語でアットゥシと呼ばれる(公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構蔵)
晴れ着
木綿衣。噴火湾沿いの地域に見られる衣服で、アイヌ語でルウンペと呼ばれる(公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構蔵)
ZIPANG-2 TOKIO 2020~国立アイヌ民族博物館誕生~ 速報「アイヌ文化を守る!2020年4月24日 北海道白老郡白老町~白老ポロト湖畔に国立民族共生象徴空間オープン~!(前編)」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5412815
アイヌ伝統儀礼「 シンヌラッパ(先祖供養)」 場所:北海道大学遺跡保存庭園
主催:札幌アイヌ協会
古い時代、アイヌの人たちは、カムイモシリ(神々が住む世界)とアイヌモシリ(人間が住む世 界=現世)、ポクナシリ(死後に住む世界。地域によっていろいろな呼び方があります)と、三つ の世界があり、アイヌモシリで死んだ人はポクナシリにいき、そこでアイヌモシリと変わらぬ生活 をすると考えていました。 そうしたポクナシリで生活する人たち―特に親族に対して供物を送り、故人を偲ぶとともに、 現世の生活が何事もなく無事に暮らせるようにと、守ってくれることを願って行ったのが、先祖供養です。
アイヌ伝統儀礼「 シンヌラッパ(先祖供養)」が行われた際にふるまわれた「ハレの日」の料理を紹介します。
お供えもの
シンヌラッパ(先祖供養)のお供え物 供物は「あの世の先祖の食べ物」で供物が多いほど先祖は喜ぶといわれています。 人々は神々に備えると同じように、先祖にも惜しみなく供物を捧げて食べ物を分かち合います。
(詳細は本文にて・・・)
ZIPANG-2 TOKIO 2020「アイヌ伝統料理『ハレの日』の料理を紹介します。」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5478587
北海道阿寒ユーカラ ロストカムイ Photo by Nagi Yoshida
阿寒湖温泉地区について火山・森・湖が織りなす豊かな原生的景観を有する「阿寒摩周国立公園」内に位置する阿寒湖温泉地区は、 北海道の先住民族であるアイヌの人々と日本人がともに暮らしてきた歴史があります。
北海道阿寒湖アイヌシアター『イコロ』舞台 舞踏群舞火
アイヌ古式舞踊 ×現代舞踊 ×デ ジタルアートを融合
阿寒には、北海道の先住民族アイヌが暮らすコタンがあります。アイヌコタンでは、伝統的な古式舞踊を体感できる阿寒湖アイヌシアター「イコロ」を常設。上演中の阿寒ユーカラ「ロストカムイ」は、デジタルアート、サウンドデザイン、ダンスなど各分野で注目を集めるクリエイターが阿寒湖に集結し、古式舞踊、現代舞踊、3DCG、7.1chサラウンドを組み合わせ、5台のプロジェクターで舞台を立体化し、誕生した新演目です。
アイヌコタン(集落)
同地区には現在も約120人が暮らす北海道最大規模のアイヌコタン(集落)があり、自然と共存してきたアイヌの人々の暮らしやそこから生まれた音楽や歌、踊りを継承するとともに、アイヌ文化を活かしたまちづくり、観光地づくりにも取り組んでいます。
国立公園満喫プロジェクト「阿寒摩周国立公園」
同地区は2016年より訪日外国人観光客を地方へ誘客する取組みを進める「観光立国ショーケース」(観光庁)や国立公園を世界水準の「ナショナルパーク」へと進化させる取組みである「国立公園満喫プロジェクト」(環境省)など、国の観光施策の重要地域に選定され、地方創生のモデルケースとしても注目されています。
(詳細は本文にて・・・)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 阿寒湖温泉で必見!もうひとつのアイヌ文化~アイヌ古式舞踊 ×現代舞踊 ×デジタルアートを融合~阿寒ユーカラ『LOST KAMUY(ロストカムイ )』
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6928341
沖縄ガンガラーの谷 生命の神秘をたどる
ガンガラーの谷 洞窟探検
ガンガラーの谷は、数十万年前までは鍾乳洞だった場所が崩れてできた、豊かな自然が残る亜熱帯の森。約1万8000年前に生きていた「港川人」の居住区としての可能性も高く、今も発掘調査が行われ、「自然」や「命」に思いを巡らせながら体感していただくことをコンセプトにしています。谷の広さは約14500坪、歩行距離は約1㎞。足を踏み入れて初めて分かる、広大な太古の世界が広がっています。
ガンガラーの谷の遺跡発掘調査
日本人のルーツ?港川人
港川人とは、沖縄県南部の石灰岩採石場で1970年に化石人骨として発見された人類です。
発見された4体の内、港川人1号と言われる1体は、人骨は頭の先から足の先まで骨が揃い、保存状態が非常によく、現代の私たちに多くのことを教えてくれています。
彼らは、約2万年前に実際にこの地に生きていた、旧石器時代の人類。
身長はおおよそ150cm前後で、現代人に比べると小柄です。その骨格から、森の中を歩き回りながら狩猟採集の生活をしていたであろうと推測されています。
現在判明している最古の人類は、アフリカ中部で発見された約700万年前のチャド猿人。
その後、様々な人類が誕生しては消滅していきました。そして、私たちホモ・サピエンスは、今からおよそ20万年ほど前にアフリカで誕生し、その後、今から約6万年前に我々の祖先はアフリカを飛び出し、世界中へと旅立っていったと言われています。
では、私たちの祖先はどのような経路で日本に辿り着いたのでしょうか。
港川人の発見は、日本人のルーツを握る重要な手がかりとなっています。
この地沖縄で暮らしていた港川人が、海を越え日本本土に渡り、日本人の祖先となった可能性があります。
遠くアフリカから沖縄にたどり着いた先人たちは、この地沖縄を飛び出し、また北へと向かう旅を続けたのではないでしょうか?
(詳細は本文にて・・・)
沖縄ガンガラーの谷 洞窟探検
ZIPANG-3 TOKIO 2020~ 生命の神秘をたどる旅とは ~「 あなたはもう行きましたか ⁉ 今、世界が注目する ガンガラーの谷へ」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6373788
大石林山は聖なる地、イヘヤ、シジャラの杜をめぐる自然と対話する場所
シジャラとは女性の乳房を意味したものとか⁉
そういえばギリシャ・ミコノス島のアフロディーテ(女神)にも似ているかな?・・・
大石林山は聖なる地
聖地・安須杜(アシムイ)
島建ての神、アマミキヨが降り立ち沖縄最初の聖地、安須杜※を創ったという。
琉球王国時代には王家の繁栄、五穀豊穣、航海安全をこの地で祈り今も四十箇所以上ある御願所(拝所)に神人の祈りが捧げられています。
2億年前の石灰岩層が隆起し長い歳月をかけて侵食された四連の岩山。
地元の古老たちは安須杜の四峰をシノクセ、アフリ、シジャラ、イヘヤと呼ぶ。
大石林山は聖なる地、イヘヤ、シジャラの杜をめぐる自然と対話する場所。
大石林山がある安須杜には40を超える御願所(拝所)があり、断崖絶壁や立穴の洞窟など非常に危険な場所にもつくられていることから、その信仰の深さがうかがえます。 安須杜は長老の杜、峰に名付けられたアフリは天帝の差す傘、シジャラは女性の乳房を意味しています。
※安須杜(アシムイ)
17世紀に編集された琉球最初の歴史書『中山世鑑』(ちゅうざんせいかん)では、祖神アマミキヨによって一番に安須杜が創られたと琉球開びゃく神話を伝えています。
また、12〜17世紀に琉球王府がまとめた沖縄最古の歌謡集『おもろさうし』には、国王の命で安須杜の湧水が王家の長寿を祈る若水として用いられたと詠われています。
(詳細は本文にて・・・)
沖縄 大石林山 気根を垂らしたガジュマル
ZIPANG-3 TOKIO 2020 昔から伝わる聖なる地 大石林山「~琉球神話の杜に広がる自然と対話する場所〜」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6351478
『魏志倭人伝』一支国の王都 壱岐「原の辻遺跡」
国境の島のものがたり
対馬 古代の港・西漕手(にしのこいで)美津島町小船越 古代日本 本土から最初に着く港
「日本誕生」古代より続く人の流れと、大陸文化を摂取するための使節の派遣などにより、金属器・漢字・仏教・政治制度などさまざまな大陸文化が対馬・壱岐を経由して日本に流れこみました。対馬・壱岐はいわば、日本が誕生する際の「へその緒」としての役割を果たしました。
日本本土と大陸の中間に位置することから、長崎県の島は、古代よりこれらを結ぶ海上交通の要衝であり、交易・交流の拠点であった。特に朝鮮との関わりは深く、壱岐は弥生時代、海上交易で王都を築き、対馬は中世以降、朝鮮との貿易と外交実務を独占し、中継貿易の拠点や迎賓地として栄えた。その後、中継地の役割は希薄になったが、古代住居跡や城跡、庭園等は当時の興隆を物語り、焼酎や麺類等の特産品、民俗行事等にも交流の痕跡が窺えます。国境の島ならではの融和と衝突を繰り返しながらも、連綿と交流が続くこれらの島は、国と国、民と民の深い絆が感じられる稀有な地域であります。
ものがたりの詳細
大小6852の島から成る島国・日本。日本の西端に位置する長崎県には、日本最多の971の島があります。
朝鮮半島との間に飛び石のように浮かぶ壱岐と対馬、東シナ海上に鎖状に連なる五島は、古代より日本と大陸を結ぶ「海の道」の要衝であり、地理的に大陸や朝鮮半島に近いことから、融和と衝突の最前線にありました。
日本遺産 壱岐「笹塚古墳」
巨石古墳が物語る国境の島
6世紀後半以降、倭国と新羅・高句麗など朝鮮半島の国々との関係が悪化する中、壱岐では古墳が盛んに造られました。双六(そうろく)古墳、笹塚古墳など壱岐の有力者のものとされる巨石で築かれた古墳の石室(*1)内からは、中国大陸や朝鮮半島との交渉を物語る多くの遺物が発見されています。特に北斉製の二彩陶器や緑釉(*2)を施した新羅土器などは、当時の倭国社会でも限られた有力者しか持つことができなかったとても貴重なものです。
壱岐「笹塚古墳」
壱岐の巨石古墳に葬られた者には、朝鮮半島との関係を重視して、ヤマト政権から派遣された有力者もいたと考えられています。つまり、当時の壱岐は、朝鮮半島との関係において、重要な役割を果たしていました。
ひんやりと涼しい石室の中に身を置くと、巨石古墳に眠っていた人物の権勢が静かに伝わってきます。
*1. 死者を納める部屋
*2. 陶磁器の表面を覆う緑色の釉薬(ゆうやく、うわぐすり)
(詳細は本文にて・・・)
五島「辞本涯」
遣唐使たちが最後に見た日本の風景・五島。目の前に広がる東シナ海を眺めていると、空海が残した「辞本涯(じぼんがい)(*1)」 という言葉が心に響きます。
*1. 日本の最果てを去るという意味。
ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~古代からの架け橋~日本遺産認定「国境の島 壱岐・対馬・五島」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4615487
※現在、2100件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。
新サイトの記事をご覧いただけます。
ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/
最新の記事をご覧いただけます。
ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
https://tokyo2020-6.themedia.jp/
最近の記事をご覧いただけます。
ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/
250件ほどの記事をご覧いただけます。
ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/
235件ほどの掲載記事をご覧いただけます。
ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/
200件ほどの掲載記事をご覧いただけます。
ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/
615件ほどの掲載記事をご覧いただけます。
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